おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。

自分自身がうつになった精神科医の話

 

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

 

 

 
 
「うつヌケ」著者である田中圭一さんが、うつトンネル脱出のきっかけとして出会ったあの本です。精神科医である宮島賢也さん自身がうつを患ってしまった。最終的に、食事と考え方を変える、「栄養療法」と「選択理論心理学」によって克服した、という内容です。
 
年間の自殺者数は増え続ける一方で、約3万人。交通事故死者数が約5千人なのと比べると、単純計算ですが6倍近く多い。
特定できた原因のうち、健康問題においての「うつ病」によるものが最も割合が高いことがわかっているそうです。
よくニュースなどでも仄聞しますが、改めて意識するととんでもないことですよね。
 
この本を読んで知ったことなんですけど
精神科や心療内科においては明確な「診断基準」ってものがあるんですね。
こういう症状にいくつ当てはまったらうつ病だよ、とか統合失調症だよ、とか世界的な基準があるみたいです。半ば機械的に診断、処理できるというのは知りませんでした。今はネットでも簡単にうつ病診断とか出来ますけどあれと似たようなもんなんでしょうか。
 
勝手なイメージですが、診る先生によって判断基準が変わったりするのかな、とおもっていたのでちょっと意外でした。
それだと、あの病院ではうつ病診断だったのに、この病院では双極性障害だったよ、みたいなパターンがままあるのは何故なんだろう?単に双極性障害の診断が難しいだけなんだろうか。
 
あと、精神科医はあくまで、症状を聞き、薬を処方する判断をするだけであって、詳しく話を聞いてあげたり心のケアをしたりという役割は臨床心理士(いわゆるカウンセラー)が受け持つんだとか。きちんと役割が住み分けされてるんですねえ。すっかり混同してました。
 
 
 
うつを治すにはまず「食事」
うつ発症のきっかけとして、親子関係の不和や学校職場での人間関係の悩みが主に挙げられます。うつを治すには、原因であるこれらをまず解決するために働きかける必要があるように思われますが
宮島さんはまず食事から変えていったそう。
ナチュラル・ハイジーン」という食事法です。
 
果物や野菜などの植物性食品を中心にした食事の仕方で、適度に玄米を一緒に食べたり、肉や魚等も禁止ではないので、食べすぎない程度に楽しんで食べたり。
食べる時間帯にも特徴があって、この辺は詳しく書いてありますので是非本書を参照してほしいんですが
宮島先生自身、人間関係や「うつになりやすい考え方」の改善よりもこの食事法を率先して行ったことにより、体調が格段に良くなってうつ治療の素地が出来上がったとか。
 
ポジティブな言葉を使ってアファメーションし、自己肯定感を上げようとか
他人は変えられないものと割り切って受け流そう、大切な人に過剰な期待をせず存在を受け入れて丸ごと感謝しようとか
参考になる話だけで構成されているような本ですが、この食事療法は最も手っ取り早いし、まず1人で取り組めて誰にも迷惑かけないし、わかりやすくてとても良いとおもいました。
 
体調が良くなれば生きることにも意欲がわくと思うんですよね、シンプルに。
 
 
 
他人は変えられないもの
上にも少し書きましたが、他人の意思や考え方を変えるのは根本的に不可能です。
洗濯理論心理学において、他人を無理矢理に変えようとする動きを「外的コントロール」と呼ぶらしいですが
どんな働きかけをしたって無理な話です。
せいぜい「変わったフリ」をされて終わる。関係性は変わらないままか下手すりゃもっと悪くなる。
 
一世風靡したアドラー心理学でも、「課題の分離」といって、他人のことは他人のこと、関与できないんだからほっときなさいっていう考え方がありますが、通ずるものがありますよね。
わたしは最近ようやくこういった考え方が腑に落ちるようになってきました。
 
どうせ変えられないんだからそっとしておく。自分に害が及ばない限りは。
どうしても気に病んだりイライラしてしまう場合は距離を置く。なによりも自分のために。
相手が配偶者だろうと親だろうと子供だろうと関係ない、1人の人間として捉えたら、自分にとってどれだけ大切なひとだろうと「他人」なんだから
尊重するに留めておいて、あとは見守るだけにしておく。自分も相手も心地よい距離感をさぐる。
 
もう少しはやくこういう考え方を知って
もうちょっと早く納得出来ていれば、破綻しなかった人間関係がたくさんあったな、と後悔しそうにもなりますが
それさえも気に病む必要は無いんですよね。気づけた今から始めればいいだけだから。
 
うつであることに罪悪感をもつ必要もないんだなって思えます。
自分ではどうしようもないけど、助けが欲しい、ヒントをくれ、クリニックにはまだかかりたくないという人がもしいたら、ひとまず読んでみるといいとおもいます。
 
 
 

語彙力を高めたいとおもったら

最近「語彙力」をテーマに掲げた本を書店でたくさん見かけます。私自身、普段から読書は良くする方ですが(ジャンルはもんのすごく偏ってるけど)、決して語彙力が高いわけではない。仕事中でも「それはちょっとヤバイですね」とか気を抜いたら言っちゃってます。

少し前に齋藤孝さんのこの本は読ませてもらってたんですが

 

 
 
もう1度原点に戻るつもりでこちらを手に取りました。
 

 

 

 
全文目を通してみて、これは日常生活でスマートに使えそうだな、とおもった語句をすこし引用しますね。
 
篤実
温厚篤実、という熟語もあります。穏やかで誠実の人を評して使う言葉。目上の人を褒める時なんかに使えそうです。
 
仄聞
「そくぶん」と読み、噂話とか風の便りとかいった意味です。「仄聞したところによると」とかさらっと使えるとかっこいい。
 
忖度
最近流行ってますよね。本来は物事が上手くいくように、誰かのために配慮するという意味だそうですが、すっかり良くないイメージがついてしまいましたね。
 
お膝送り
飲み会や会席の場などで、席を詰めてほしい時に「お膝送りをお願いします」などと使うらしいです。
 
 
 
あと、間違えやすい語句もいくつも載っていました。少し引用すると
 
幸先が良い
「幸先が悪い」っていう言い回しは間違っているみたいです。「幸先」という言葉自体が「上手くいきそうな予感」という意味なので、幸先が悪いだと意味が通じないらしい。
普段から使っちゃってました。気をつけよう。
 
檄を飛ばす
「激」じゃなくて「檄」を飛ばす。
目上の人が喝を入れる、みたいな使い方がよく見られますが、本来は考えや主義主張を周りに知らしめること、という意味らしい。
 
敷居が高い
私には恐れ多くてとてもとても……という意味ではなく、不義理のため気まずくて行けない、っていう意味合いのようです。これも間違って使ってました。気をつけよう。
 
なおざり、おざなり
これも間違いやすいですよねえ。どっちがどっちだっけ?となってしまう。
なおざりはいい加減な様子を表し
おざなりはいい加減な言動を表すらしい。
無理矢理にでもイメージつけちゃうと覚えられそうですね。
 
 
 
これ以外にもたくさんの語句が掲載されています。大手企業の重役と接する機会の多いデキるビジネスマンしか使わなさそうな言葉がほとんどですが。語句とその本来の意味が見やすくレイアウトされているのでぱっと見ただけで勉強出来るし、文庫サイズで持ち運びやすいので手軽で良いとおもいます。
 
せっかく勉強しても使いどころがないと忘れちゃうけどなあ。他言語を学ぶ時と似てるかもしれない。
こういう言葉遣いとか言い回しとかが普通にしてても出てくるような人間関係を構築せよということだろうか。ハードル高い。
 
 

死ぬくらいなら会社辞めれば、略して死ぬ辞め

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 

 
装丁画や挿絵を手掛ける汐街コナさんの、デザイナー時代のブラック会社勤務経験を漫画化した作品です。
表紙から切迫感、緊急性が漂ってくるようで、ずっとずっと気になっていました。手に取るまで少し時間がかかったのは、読むのが怖かったからです。
同じ「踏み切る」なら会社を辞めるよりもむしろ、と思い詰めた心の動きに覚えがあるから。
 
 
 
感情が麻痺する前に
「うつかも?」とおもう兆候はいろいろあり、食欲不振と不眠がその代表。その病気によって様々みたいですが、目眩や吐き気、幻覚や幻聴が表れたりする場合もあるそうです。
疲れてるだけだろう、と軽くみて頑張り続けていると、ある日急に動けなくなる。起き上がれない、玄関から出られない。
 
症状をきちんと自覚し、動けなくなる前に病院にかかるなり休むなりできる人は、そもそもうつにはならない人。
うつを始めとした精神障害を患う人は、その勇気がない。決断できない判断出来ない、休めない。症状を自覚できない。
みんなもこれくらい頑張ってる
残業100時間とか普通
こんなことで休むなんて情けない
 
麻痺してしまうんだとおもいます。
辛くて苦しいのは他の誰でもない自分なのに、自分の声を聞くことができない。
周りと比較して、世間体が優先順位の一番になる。
体も心も麻痺した状態で無理し続けるから、ある瞬間にぷつっと切れる。マリオネットの糸が上からハサミでじゃきんと切られるイメージかな、と読んでいておもいました。
 
そういえば、前職時代に食欲不振や不眠はたまに、っていう程度でしたが
幻覚幻聴金縛りは3セットでしょっちゅうありました。葬儀社勤めだったのでそのせいかとおもってましたが、それだけでもなかったんでしょうね、きっと。
抜け出せたいま、格段に楽しいです。
生きるのが。
 
 
 
なんでもいいから休め
著者である汐街コナさんは、自身の経験から、少しでも「普通じゃない、おかしい」と思ったら休んでくれ、と投げかけてくれています。
読んで救われるひとはたくさんいるし、ギリギリで踏みとどまれたひともいっぱいいただろうな。
 
休むのって勇気要るよね。
みんなも頑張ってるのに、そう思っちゃうとある程度は無理して仕事した方が世間体も保てるし何より「楽」だし。
でもその楽は続かない。一過性のもの。どこかでぶったぎって無理にでも休まないと。それが難しいんだけどね。
 
過労自死したひとたちを何人か送るお手伝いをしましたが、あとに遺される側には虚無しかないんだ、とおもう。
それこそ「死ぬくらいなら会社辞めれば」いいのに。そう思わせられる。でもそれが出来なかったんだ。なんで、なんでって今度は自死遺族側が自分を責めてしまうんじゃないかな。
 
そうなる前に休むんだ。何がなんでも。
みんなも頑張ってる?  関係ないよ。
辛いと感じてるのは自分自身。休むのは甘えではない。そこを何度でも意識して、原点にして、帰ってこられるように。
 
読みやすく、頭に入ってきやすいし、漫画だから「活字が頭に入っていかない」っていう鬱症状が出ている人でも、絵だけ追うだけでもメッセージが伝わるのではないかな。
 
自分の身は自分で守りましょう。しんだらそこで終わりだよ。会社は潰れてもいいじゃない。先輩や同期だってマジでやばいとおもったら勝手に行動します各々で。
すべて投げ出して休んで自分を守る。
それからの話です。
 
 

人は、外見が100%

けど、中身も100%、だとおもいます。

 

 

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

 

 

 
「夢をかなえるゾウ」「神様に一番近い動物」などの主に自己啓発書ジャンルでよく知られる水野敬也さんの著書です。
 
 
トリーチャーコリンズ症候群やリンパ管腫をはじめとする病気により、顔に症状をもつ9人の方に取材。これまでの生き方や病気(またはその症状)に対する向き合い方、折り合いの付け方を聞きまとめた1冊。
 
読んでいて泣きそうでした。
どうして悲しくおもうのか、自分で自分の感情の動きに戸惑いました。これは、私がこの人たちに対して「可哀想だ」とおもい同情してしまっているのか、そうだとしたら私は最低だ、と考えながら読み進めました。
 
強いです、総じて。みんな。
病気がそうさせたのかはわからないけど、人間ができてるというか、その境地に至るまで、これまでの人生の中で紆余曲折あったろうけど、症状の表れた「顔」に対して後ろ指差す類のひとは一定数いたはず、なのにそんなひとたちに対する恨み言は一切ない。
 
他人は変えられない。
それならば、自分の考え方や受け取り方を変える。
 
これほど重さと決意を伴って響く言葉はない、とおもった。強すぎる。強く保たずには生きていられないから必然的に強くなったんだ。それまでの過程、経緯をおもうと、この人たちが生きていてくれて良かったという気持ちになった。
読みながら泣きたくなったのは嬉しかったから、かもしれない。
 
 
 
っていう病気があることをこの本を読んではじめて知りました。引用します。
 
眼球内に発生する腫瘍で、2~3歳までに発病する場合が多い。出生児の1万5千人にに1人の割合で発症し、症状が進行すると、光が腫瘍に反射して白く光って見えることがある。
 
もうこの文面だけでこわすぎる。眼球に腫瘍ですよ。そんな漫画みたいな病気があるのか、人間の体にそんなことが起こり得るのか、って恐ろしくなります。
 
この病気により左眼を全摘出した泉川一樹さんという方のお話されていたことで
 
「自分が気にしていることも、周囲の人は違う風に見ていたりしますよね。自分の自分に対するフォーカスと、他者の自分に対するフォーカスはズレているものだと気づくことで目のことは気にならなくなっていったんだと思います」
 
というお話をされていて。
結構文中ではサラッと書かれてますけど、これってものすごい事だと思うんですよね。
こんな難しい病気に限らず、たとえば鼻が低いとか目が小さいとか、容姿で大なり小なり悩みを持っているひとが大多数ですけど
本人が気にしていても他人からしたらそうでもなかったりする。みんないい意味で自分にしか興味が無いから他人の些事にまで気を配ってない。
 
同列で語っていいものかどうかわからないけど、敢えて言ってしまうと、病気のせいで片目がない状態でもそれは、体毛が濃いとか顎が出てるとかそういったコンプレックスと同じで、他人からどう見えるかより自分がどう捉えるかを前提にして生きればいい。
でもそれは、気の遠くなるほどの努力と時間が必要なこと。
 
 
 
悩みは解決しない
後書きにて、著者の水野さんも触れていることですが
難しい病気を持って生まれ、苦しい思い辛い気持ちを味わいながら這いつくばるようにして生きてきた、その悩みの根源に対して
みなさん共通して言っていることがあります。
悩みは解決しない。
悩みは悩みとして変わらずそこにあるし、受け入れることも乗り越えることもない。ただ向き合い、付随する色々な感情を割り切って、折り合いながら進んでいく。それしかないと。
悩みと付き合いながらこれからも生きていくんだと。
 
この病気たちや「見た目問題」に関してはわたしは知識もないし、そういったひとたちと面と向かって会話をしたこともない。
 
けれどこうやって、お互いをひとりの人間として、「私の悩みはこうです」「そうですか、私はこうなんです」と語り合いながら、存在を認め合いながら生活していく世の中は居心地良いものになるとおもいました。
 
 
 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
 

 

 
 
オードリー若林氏のキューバ旅行エッセイです!前作がとても面白かったので期待大、読みたい読みたいと思っていたら先輩が粋な方法で贈ってくださり、わくわくしながら読みました。
結論。面白いよー。
 
導入部からもう面白いです。なんだろう。さすがだなー。言葉運びというか、本心の自分と建前の自分で対話しているような書き方がとても自然で、読ませる力があるなーとおもいました。
あと、どうして若林がキューバ旅行なのか?
このへん合わせて、最後まで読むとはっとなります。あー。読んでよかったー。ただ面白いだけじゃないんだね。控えめに言って最高だよ。
 
 
この人は度々自分のことを箸にも棒にも引っかからない人間みたいにこき下ろすことがあるけど、学びたい気持ちとか吸収する力とかは人一倍あるし、人にわかりやすく伝えるのにも長けてる。読んでいてそれがわかります。ますますファンになった!
 
5日間、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばない所までぼくを連れ去ってくれ。
 
海外にはそれが出来るんだろうな。
 
 
 
恥ずかしながらキューバという国についての知識がゼロです。チェ・ゲバラカストロも名前を聞いたことがあるくらい。キューバ革命?なんだそれは?世界史で習ったか?
自国の歴史にも乏しい私には厳しい話です。
でもすらすら読めました。元々こういう旅行エッセイは好きなんです。
 
一人旅いいなー。
国内外問わず旅行っていいなと思える感覚は持ち合わせてるんだが、いかんせん行動力がね。腰が重いよね。パスポートもないし。
女性ひとりだと海外は余計ね、危ないよね、とかなんとか色々と理由をつけては本を読むだけなのだ。いつか私ももう少し歳をとったらどこにでも行けるようになるか?
 
キューバには革命博物館というところがあって
若林が現地ガイドとそこを周るんだけど
ゲバラカストロの写真、実際に乗っていた戦車や船が展示されてたり、アメリカの風刺画があったりする。その全部、一つ一つを彼が丁寧に吸収して、感じたことを丁寧に文字に落とし込んでいるのが伝わってきます。実際にその場の空気の匂いがわかるみたいだ。あー。行ってみたい。なんにも知らないけど。
 
ゲバラの名言も紹介されてます。
 
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
 
うへー。痺れるー。
漫然と生きてるな自分。なんとなくぼんやりと日々をこなして定年後十年くらい年金生活したらぽっくり逝ってあまり放置されないうちに発見されたいな、とか都合のいいことを考えているよ。孤独死想定なのがなんとも物悲しいよ自分でも。
 
命を使う生き方、したいね。
 
 
 
街の匂いがしてくる
なんとも手垢のついた表現ですが
まるでその場にいるみたいな、現地の空気感が伝わってくる文章。一冊読んだだけでキューバを旅行して帰ってきたみたいな感慨に浸れます。
 
良い文章って読んだだけで音が聞こえてくるし、感触も匂いもリアルに感じられることがある。まさにそういう文章の中に溺れた。海外なんて行ったことのない人間でも「コロニアル調の建物」と書いてあればなんとなく想像できる気がしてきたり。
 
そして、どうして「若林がキューバ旅行なのか?」
私は芸人としての、テレビというフィルターを通した彼の顔しか知りませんが
実際に、どういう思いで現実に生きているのか、生活しているのか、仕事を抜きにしたそういう生の生命感が文章には現れ出てる気がしていて、これは前作とはまた趣が違う味わいとして受け取りました。
 
うーん。なんか頑張ろう。
中の上でもいいよね。充分だよね。
 

下から見るか?横からみるか?

 

例の打ち上げ花火映画見てきました。

酷評がちらちら見えていましたが思っていたよりは良かったです。映像美麗、音響も主題歌も場面を考えた構成で効果的に活きているなとおもった。シャフトなので物語シリーズを彷彿とさせる動きや演出あり。菅田将暉の声はちょっと浮いていた。広瀬すずの方が声優としてハマってる、自然。

 

 

 

 

 

ここから先はストーリーの考察にはいるので未見の方はご注意。

 

 

 

 

 

賛否両論わかれているエンディングですが
ifストーリーというか平行世界ものとしては理想的な終わり方なんじゃないかと個人的にはおもいました。はっきりとした答え、正解を求める巷間の声もわかるけど
あとはお好きにご想像にお任せされた方が好き勝手に解釈できるし受け手側としては幸せじゃないか?

 

 

ほんと私の自分勝手な考察としては
あの不思議な球の力を借りて、典道となずな2人が考える「自分たちにとってより良い世界」を求めて
主軸世界とは違う世界線を模索する、半永久的に続く旅に出たんだとおもう。
(酔っ払い花火師によってあの球は打ち上げられてしまいましたが)

 

 

とにかく2人だけでずっといられる都合の良い世界に行ったんだきっと。
それか「最後の1日」をずっと繰り返してる。
典道だけ記憶を保持した状態で。それも辛いけどな……。

 

 

いくらでも想像の余地はあります。そういう余裕というか空間を残してあの物語は終わってくれたんだとおもう。
これだ!という終わりを公式が提供してくれないと不完全燃焼してしまうようでは想像力がしんでしまう。きっとそういう警告でもあるよ。
もっと不安定要素を楽しんでいきましょう。そういうことにしましょう。

 

 

あと主題歌めちゃくちゃいい。見終わったあと即ダウンロードしました。これを良い音響で聴くためだけに鑑賞料出す価値あるぞ。

 

 

「豆の上で眠る」

 

豆の上で眠る (新潮文庫)

豆の上で眠る (新潮文庫)

 

 

 
このタイトル、「えんどうまめの上でねたおひめさま」という童話がモチーフになってます。もうそれだけでなんだか可愛らしいし、興味をそそられるな。湊かなえ好きなので文庫化を知ってそそくさと購入しました。
 
 
物語の概要
ある仲の良い姉妹のうち姉のほうが突如姿を消してしまう。神社で遊んだ帰り道の一瞬のことだった。やがて、しばらくして戻ってきた彼女のことを、両親含め周りの人間は安堵とともに迎え入れたが、妹の結衣子だけは違和感を拭いきれずにいる。あれからだいぶ時間が経った、いまも。
 
姉の万祐子が行方不明になった10年以上前の夏、8月5日の回想と現在を行き来しながら物語は進んでいきます。
小さい頃から万祐子ちゃんは控えめな性格で、字が綺麗でお菓子作りが得意、体の弱いところがある可愛らしい女の子だった。それに比べて妹の結衣子はおてんば、字も汚いし卵もまともに割れなくて、姉とは血が繋がっていないのでは、とちらちら悩む日々。
 
母親も、きっと私ではなく万祐子ちゃんの方がすき。
そんな中、自分が一緒に帰っていればもしかすると、万祐子ちゃんは無事だったかもしれない状況下で姉は失踪してしまう。罪悪感、恐怖と不安。母親への申し訳なさ、いたたまれなさ。
 
 
失踪当時、現在から数えて約10年前の夏の回想は緊迫感溢れ、誘拐事件を想定して警察の捜査が入るほどになっているが一転、語り部である妹・結衣子にとっての現在では姉の万祐子は無事に「かえって」きている。
読者であるこちら側は冒頭から振り回されます。いったい何があったんだ……?と続きが気になって繰る手が止まりません。
 
 
帰ってきた姉はほんとうに、あの「万祐子ちゃん」なのか。
まさに「豆の上に寝かせる」ようにしてカマをかけ、試すようなことばかり繰り返す結衣子。姉は本物なのか。疑う私が間違っているのか?
 
 
読後感
湊かなえの作品だ、って意識して読むと、ダークさは薄味です。今まで読んだ中から挙げると「夜行観覧車」あたりが雰囲気似てるかも。家族で問題抱えて奔走・迷走するあたりが。
 
そして読後感は決して良くない。
話の流れはミステリーに慣れてる人だったらよめる。最後に明かされる真実も「やっぱりそうだったか」とおもう。
これはミステリーよりも、家族の在り方や向き合い方を真っ向勝負で問われる作品だと言えるとおもうし、さらに因数分解していくと「ひとってなんだ」「偽物本物ってどういう概念だ」っていう、まるで哲学と取っ組みあってるような気持ちになってきます。
 
血の繋がりが最適解ではないんだよな。