おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。

死ぬくらいなら会社辞めれば、略して死ぬ辞め

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 

 
装丁画や挿絵を手掛ける汐街コナさんの、デザイナー時代のブラック会社勤務経験を漫画化した作品です。
表紙から切迫感、緊急性が漂ってくるようで、ずっとずっと気になっていました。手に取るまで少し時間がかかったのは、読むのが怖かったからです。
同じ「踏み切る」なら会社を辞めるよりもむしろ、と思い詰めた心の動きに覚えがあるから。
 
 
 
感情が麻痺する前に
「うつかも?」とおもう兆候はいろいろあり、食欲不振と不眠がその代表。その病気によって様々みたいですが、目眩や吐き気、幻覚や幻聴が表れたりする場合もあるそうです。
疲れてるだけだろう、と軽くみて頑張り続けていると、ある日急に動けなくなる。起き上がれない、玄関から出られない。
 
症状をきちんと自覚し、動けなくなる前に病院にかかるなり休むなりできる人は、そもそもうつにはならない人。
うつを始めとした精神障害を患う人は、その勇気がない。決断できない判断出来ない、休めない。症状を自覚できない。
みんなもこれくらい頑張ってる
残業100時間とか普通
こんなことで休むなんて情けない
 
麻痺してしまうんだとおもいます。
辛くて苦しいのは他の誰でもない自分なのに、自分の声を聞くことができない。
周りと比較して、世間体が優先順位の一番になる。
体も心も麻痺した状態で無理し続けるから、ある瞬間にぷつっと切れる。マリオネットの糸が上からハサミでじゃきんと切られるイメージかな、と読んでいておもいました。
 
そういえば、前職時代に食欲不振や不眠はたまに、っていう程度でしたが
幻覚幻聴金縛りは3セットでしょっちゅうありました。葬儀社勤めだったのでそのせいかとおもってましたが、それだけでもなかったんでしょうね、きっと。
抜け出せたいま、格段に楽しいです。
生きるのが。
 
 
 
なんでもいいから休め
著者である汐街コナさんは、自身の経験から、少しでも「普通じゃない、おかしい」と思ったら休んでくれ、と投げかけてくれています。
読んで救われるひとはたくさんいるし、ギリギリで踏みとどまれたひともいっぱいいただろうな。
 
休むのって勇気要るよね。
みんなも頑張ってるのに、そう思っちゃうとある程度は無理して仕事した方が世間体も保てるし何より「楽」だし。
でもその楽は続かない。一過性のもの。どこかでぶったぎって無理にでも休まないと。それが難しいんだけどね。
 
過労自死したひとたちを何人か送るお手伝いをしましたが、あとに遺される側には虚無しかないんだ、とおもう。
それこそ「死ぬくらいなら会社辞めれば」いいのに。そう思わせられる。でもそれが出来なかったんだ。なんで、なんでって今度は自死遺族側が自分を責めてしまうんじゃないかな。
 
そうなる前に休むんだ。何がなんでも。
みんなも頑張ってる?  関係ないよ。
辛いと感じてるのは自分自身。休むのは甘えではない。そこを何度でも意識して、原点にして、帰ってこられるように。
 
読みやすく、頭に入ってきやすいし、漫画だから「活字が頭に入っていかない」っていう鬱症状が出ている人でも、絵だけ追うだけでもメッセージが伝わるのではないかな。
 
自分の身は自分で守りましょう。しんだらそこで終わりだよ。会社は潰れてもいいじゃない。先輩や同期だってマジでやばいとおもったら勝手に行動します各々で。
すべて投げ出して休んで自分を守る。
それからの話です。
 
 

人は、外見が100%

けど、中身も100%、だとおもいます。

 

 

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

 

 

 
「夢をかなえるゾウ」「神様に一番近い動物」などの主に自己啓発書ジャンルでよく知られる水野敬也さんの著書です。
 
 
トリーチャーコリンズ症候群やリンパ管腫をはじめとする病気により、顔に症状をもつ9人の方に取材。これまでの生き方や病気(またはその症状)に対する向き合い方、折り合いの付け方を聞きまとめた1冊。
 
読んでいて泣きそうでした。
どうして悲しくおもうのか、自分で自分の感情の動きに戸惑いました。これは、私がこの人たちに対して「可哀想だ」とおもい同情してしまっているのか、そうだとしたら私は最低だ、と考えながら読み進めました。
 
強いです、総じて。みんな。
病気がそうさせたのかはわからないけど、人間ができてるというか、その境地に至るまで、これまでの人生の中で紆余曲折あったろうけど、症状の表れた「顔」に対して後ろ指差す類のひとは一定数いたはず、なのにそんなひとたちに対する恨み言は一切ない。
 
他人は変えられない。
それならば、自分の考え方や受け取り方を変える。
 
これほど重さと決意を伴って響く言葉はない、とおもった。強すぎる。強く保たずには生きていられないから必然的に強くなったんだ。それまでの過程、経緯をおもうと、この人たちが生きていてくれて良かったという気持ちになった。
読みながら泣きたくなったのは嬉しかったから、かもしれない。
 
 
 
っていう病気があることをこの本を読んではじめて知りました。引用します。
 
眼球内に発生する腫瘍で、2~3歳までに発病する場合が多い。出生児の1万5千人にに1人の割合で発症し、症状が進行すると、光が腫瘍に反射して白く光って見えることがある。
 
もうこの文面だけでこわすぎる。眼球に腫瘍ですよ。そんな漫画みたいな病気があるのか、人間の体にそんなことが起こり得るのか、って恐ろしくなります。
 
この病気により左眼を全摘出した泉川一樹さんという方のお話されていたことで
 
「自分が気にしていることも、周囲の人は違う風に見ていたりしますよね。自分の自分に対するフォーカスと、他者の自分に対するフォーカスはズレているものだと気づくことで目のことは気にならなくなっていったんだと思います」
 
というお話をされていて。
結構文中ではサラッと書かれてますけど、これってものすごい事だと思うんですよね。
こんな難しい病気に限らず、たとえば鼻が低いとか目が小さいとか、容姿で大なり小なり悩みを持っているひとが大多数ですけど
本人が気にしていても他人からしたらそうでもなかったりする。みんないい意味で自分にしか興味が無いから他人の些事にまで気を配ってない。
 
同列で語っていいものかどうかわからないけど、敢えて言ってしまうと、病気のせいで片目がない状態でもそれは、体毛が濃いとか顎が出てるとかそういったコンプレックスと同じで、他人からどう見えるかより自分がどう捉えるかを前提にして生きればいい。
でもそれは、気の遠くなるほどの努力と時間が必要なこと。
 
 
 
悩みは解決しない
後書きにて、著者の水野さんも触れていることですが
難しい病気を持って生まれ、苦しい思い辛い気持ちを味わいながら這いつくばるようにして生きてきた、その悩みの根源に対して
みなさん共通して言っていることがあります。
悩みは解決しない。
悩みは悩みとして変わらずそこにあるし、受け入れることも乗り越えることもない。ただ向き合い、付随する色々な感情を割り切って、折り合いながら進んでいく。それしかないと。
悩みと付き合いながらこれからも生きていくんだと。
 
この病気たちや「見た目問題」に関してはわたしは知識もないし、そういったひとたちと面と向かって会話をしたこともない。
 
けれどこうやって、お互いをひとりの人間として、「私の悩みはこうです」「そうですか、私はこうなんです」と語り合いながら、存在を認め合いながら生活していく世の中は居心地良いものになるとおもいました。
 
 
 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
 

 

 
 
オードリー若林氏のキューバ旅行エッセイです!前作がとても面白かったので期待大、読みたい読みたいと思っていたら先輩が粋な方法で贈ってくださり、わくわくしながら読みました。
結論。面白いよー。
 
導入部からもう面白いです。なんだろう。さすがだなー。言葉運びというか、本心の自分と建前の自分で対話しているような書き方がとても自然で、読ませる力があるなーとおもいました。
あと、どうして若林がキューバ旅行なのか?
このへん合わせて、最後まで読むとはっとなります。あー。読んでよかったー。ただ面白いだけじゃないんだね。控えめに言って最高だよ。
 
 
この人は度々自分のことを箸にも棒にも引っかからない人間みたいにこき下ろすことがあるけど、学びたい気持ちとか吸収する力とかは人一倍あるし、人にわかりやすく伝えるのにも長けてる。読んでいてそれがわかります。ますますファンになった!
 
5日間、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばない所までぼくを連れ去ってくれ。
 
海外にはそれが出来るんだろうな。
 
 
 
恥ずかしながらキューバという国についての知識がゼロです。チェ・ゲバラカストロも名前を聞いたことがあるくらい。キューバ革命?なんだそれは?世界史で習ったか?
自国の歴史にも乏しい私には厳しい話です。
でもすらすら読めました。元々こういう旅行エッセイは好きなんです。
 
一人旅いいなー。
国内外問わず旅行っていいなと思える感覚は持ち合わせてるんだが、いかんせん行動力がね。腰が重いよね。パスポートもないし。
女性ひとりだと海外は余計ね、危ないよね、とかなんとか色々と理由をつけては本を読むだけなのだ。いつか私ももう少し歳をとったらどこにでも行けるようになるか?
 
キューバには革命博物館というところがあって
若林が現地ガイドとそこを周るんだけど
ゲバラカストロの写真、実際に乗っていた戦車や船が展示されてたり、アメリカの風刺画があったりする。その全部、一つ一つを彼が丁寧に吸収して、感じたことを丁寧に文字に落とし込んでいるのが伝わってきます。実際にその場の空気の匂いがわかるみたいだ。あー。行ってみたい。なんにも知らないけど。
 
ゲバラの名言も紹介されてます。
 
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
 
うへー。痺れるー。
漫然と生きてるな自分。なんとなくぼんやりと日々をこなして定年後十年くらい年金生活したらぽっくり逝ってあまり放置されないうちに発見されたいな、とか都合のいいことを考えているよ。孤独死想定なのがなんとも物悲しいよ自分でも。
 
命を使う生き方、したいね。
 
 
 
街の匂いがしてくる
なんとも手垢のついた表現ですが
まるでその場にいるみたいな、現地の空気感が伝わってくる文章。一冊読んだだけでキューバを旅行して帰ってきたみたいな感慨に浸れます。
 
良い文章って読んだだけで音が聞こえてくるし、感触も匂いもリアルに感じられることがある。まさにそういう文章の中に溺れた。海外なんて行ったことのない人間でも「コロニアル調の建物」と書いてあればなんとなく想像できる気がしてきたり。
 
そして、どうして「若林がキューバ旅行なのか?」
私は芸人としての、テレビというフィルターを通した彼の顔しか知りませんが
実際に、どういう思いで現実に生きているのか、生活しているのか、仕事を抜きにしたそういう生の生命感が文章には現れ出てる気がしていて、これは前作とはまた趣が違う味わいとして受け取りました。
 
うーん。なんか頑張ろう。
中の上でもいいよね。充分だよね。
 

下から見るか?横からみるか?

 

例の打ち上げ花火映画見てきました。

酷評がちらちら見えていましたが思っていたよりは良かったです。映像美麗、音響も主題歌も場面を考えた構成で効果的に活きているなとおもった。シャフトなので物語シリーズを彷彿とさせる動きや演出あり。菅田将暉の声はちょっと浮いていた。広瀬すずの方が声優としてハマってる、自然。

 

 

 

 

 

ここから先はストーリーの考察にはいるので未見の方はご注意。

 

 

 

 

 

賛否両論わかれているエンディングですが
ifストーリーというか平行世界ものとしては理想的な終わり方なんじゃないかと個人的にはおもいました。はっきりとした答え、正解を求める巷間の声もわかるけど
あとはお好きにご想像にお任せされた方が好き勝手に解釈できるし受け手側としては幸せじゃないか?

 

 

ほんと私の自分勝手な考察としては
あの不思議な球の力を借りて、典道となずな2人が考える「自分たちにとってより良い世界」を求めて
主軸世界とは違う世界線を模索する、半永久的に続く旅に出たんだとおもう。
(酔っ払い花火師によってあの球は打ち上げられてしまいましたが)

 

 

とにかく2人だけでずっといられる都合の良い世界に行ったんだきっと。
それか「最後の1日」をずっと繰り返してる。
典道だけ記憶を保持した状態で。それも辛いけどな……。

 

 

いくらでも想像の余地はあります。そういう余裕というか空間を残してあの物語は終わってくれたんだとおもう。
これだ!という終わりを公式が提供してくれないと不完全燃焼してしまうようでは想像力がしんでしまう。きっとそういう警告でもあるよ。
もっと不安定要素を楽しんでいきましょう。そういうことにしましょう。

 

 

あと主題歌めちゃくちゃいい。見終わったあと即ダウンロードしました。これを良い音響で聴くためだけに鑑賞料出す価値あるぞ。

 

 

「豆の上で眠る」

 

豆の上で眠る (新潮文庫)

豆の上で眠る (新潮文庫)

 

 

 
このタイトル、「えんどうまめの上でねたおひめさま」という童話がモチーフになってます。もうそれだけでなんだか可愛らしいし、興味をそそられるな。湊かなえ好きなので文庫化を知ってそそくさと購入しました。
 
 
物語の概要
ある仲の良い姉妹のうち姉のほうが突如姿を消してしまう。神社で遊んだ帰り道の一瞬のことだった。やがて、しばらくして戻ってきた彼女のことを、両親含め周りの人間は安堵とともに迎え入れたが、妹の結衣子だけは違和感を拭いきれずにいる。あれからだいぶ時間が経った、いまも。
 
姉の万祐子が行方不明になった10年以上前の夏、8月5日の回想と現在を行き来しながら物語は進んでいきます。
小さい頃から万祐子ちゃんは控えめな性格で、字が綺麗でお菓子作りが得意、体の弱いところがある可愛らしい女の子だった。それに比べて妹の結衣子はおてんば、字も汚いし卵もまともに割れなくて、姉とは血が繋がっていないのでは、とちらちら悩む日々。
 
母親も、きっと私ではなく万祐子ちゃんの方がすき。
そんな中、自分が一緒に帰っていればもしかすると、万祐子ちゃんは無事だったかもしれない状況下で姉は失踪してしまう。罪悪感、恐怖と不安。母親への申し訳なさ、いたたまれなさ。
 
 
失踪当時、現在から数えて約10年前の夏の回想は緊迫感溢れ、誘拐事件を想定して警察の捜査が入るほどになっているが一転、語り部である妹・結衣子にとっての現在では姉の万祐子は無事に「かえって」きている。
読者であるこちら側は冒頭から振り回されます。いったい何があったんだ……?と続きが気になって繰る手が止まりません。
 
 
帰ってきた姉はほんとうに、あの「万祐子ちゃん」なのか。
まさに「豆の上に寝かせる」ようにしてカマをかけ、試すようなことばかり繰り返す結衣子。姉は本物なのか。疑う私が間違っているのか?
 
 
読後感
湊かなえの作品だ、って意識して読むと、ダークさは薄味です。今まで読んだ中から挙げると「夜行観覧車」あたりが雰囲気似てるかも。家族で問題抱えて奔走・迷走するあたりが。
 
そして読後感は決して良くない。
話の流れはミステリーに慣れてる人だったらよめる。最後に明かされる真実も「やっぱりそうだったか」とおもう。
これはミステリーよりも、家族の在り方や向き合い方を真っ向勝負で問われる作品だと言えるとおもうし、さらに因数分解していくと「ひとってなんだ」「偽物本物ってどういう概念だ」っていう、まるで哲学と取っ組みあってるような気持ちになってきます。
 
血の繋がりが最適解ではないんだよな。
 
 

誰でもうつになる可能性がある

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

序盤で「はッッッッ!」となった箇所があって。
うつを治すためにはどうすればいいか、端的に書かれた一文。
自分を好きになればいい

 

やっぱりそうなのか、と。

 

この現代日本に「鬱になる可能性ゼロの人」なんていないと思っていて、だからこそ、いまは心身ともに健康である自分だって、いつどんなきっかけでトンネルに迷い込むかわからないだろ、とおもってます。

 

自衛のためというか予防のためというか(できるのかどうかは置いといて)鬱に関する書籍を読んで「こういう時が危ないんだな」「こういう考え方が危険なんだな」って方向性をひとまず掴んでおきたい。

 

そう思い、まずは読みやすい漫画から、と思って手に取った本書ですが。
自分を好きになる。
これは……、この記事でも触れたキーワードだ。

 

ohitori-y.hateblo.jp

 

 
やっぱり自分のことを好きであるか嫌いであるか、がバロメーターのひとつなのかしら。自分のことを好きな状態で鬱になるわけないもんな、よくよく考えたら。そんなに重要な概念だったとは。あらためて驚きだ。

 

 

鬱になるきっかけのひとつ 

人が鬱をはじめ精神障害を患うきっかけのひとつに(幼少期の虐待やイジメ等、明らかに他人によって害を被る場合を除き)、「仕事または学業において大成功をおさめたとき」があるそうで。

 

言葉で見るとすごく良い状況だし、成功して気持ちも乗ってるはずなのに、なんで??っておもうんですが

 

成功すると、その結果を受け取り、継続させようとがむしゃらに頑張る

周囲からの期待やプレッシャーに負けないようにとさらに頑張る

頑張り続けて

いざって時に望まれた結果が出せなかったりすると、無力感に襲われうつ発症のきっかけに。

 

という流れが実に多いということです。

 

 

 私も、一歩手前だったのかも

私自身のことを書かせてもらうと、これまでの人生を振り返ってみて、もしかしたらあれはうつ(もしくはその兆候)だったのでは?と思い当たる時期が2つあって


①大学生の頃
②入社して3年くらい経った頃

 

学生の頃、とにかく学校に行くのが嫌で、朝起きて体が動かなかったり、せっかく動いても玄関から出られない、電車に乗れないってことが年に数十回あったり
それでも私立だったんで、馬鹿みたいに学費高いし、卒業出来なかったり留年したりしたら親に合わせる顔ない、と思ってそこだけは死ぬ気でなんとかしましたが
そんな中でも、卒業論文通らなかったら全体の単位足りなくて卒業不可能、っていう状態でした。


葬儀社勤めだった頃は、入社した頃は仕事がとにかく忙しいし覚えることも膨大にあるしで、今となってはあんまり記憶ないんだけど
3年経ってある程度慣れてきた時に、食欲なかったり食べ物の味が分からなかったり本読みたいとか映画見たいとか、趣味に対する意欲が全く湧かなくなって感情が死んだみたいになりました。

どちらのケースも特に大きな成功をおさめたわけではないんですが、もっと視野を広げてみると、
「大学に受かった」「新卒で正社員採用された」
というだけでも私にとってはもの凄い成功、と言えなくもないかなと。

 


通院や服薬の経験はありませんが、今思うと片足突っ込んでたのかもな、と俯瞰できる今ならおもいます。
仕事辞めてフリーターやってる今は、やりたいことやれてるし夢もあるし上々です。

 

 

「うつ」の前に自衛する入門書

うつ寛解のためには思い切って仕事を休む、会社を辞める、自分を好きになる努力をする。

こうやって考えてると、やっぱりどれだけ表向き明るく何の問題もなさそうに見える人でも、危険性は潜んでるんだ、とおもえてならないです。

 

この「うつヌケ」は漫画なので読みやすいですし、うつをはじめとした精神障害についての正しい知識も得られるし、症状はどんなものなのかもわかりやすく書かれてるし、うつとしての入門書としてとても良いなと感じました。

 

同時に、現在うつ状態で苦しんでいる人にとっても救いのきっかけになると確信しています。

 

 

 

 

アラサーにして自分の野心を思い出した話

 

小さな野心を燃料にして、人生を最高傑作にする方法

小さな野心を燃料にして、人生を最高傑作にする方法

 

 

 


読んでいておもったことは、やっぱり私の夢は文章を書くことを仕事にすることだってこと。自分の本を出すこと、それが人の役に立つこと。
そしてゆくゆくはブックカフェを開店して、本好きのお客さんの相手をしながら晩年、好き勝手に本を読んで過ごすこと。(そのためにも、目は大切にしたい。)
直視したくなかった。これが私の夢だ!って自覚したくなかった。だって叶わないから。叶わないと半ば思ってきたから。
この本を読んでたら、もしかしたら叶うかも、信じて行動を起こして、その行動を続けて、信じて、続けて続けて、それを継続していたら、きっと。
そう思わせられちゃうくらい「野心」に溢れてる内容です。

 

 

 

ブロガー・作家として活躍するはあちゅうさんと、ライフスタイルプロデューサーという肩書の村上萌さんの共著です。
おふたりがどんな経緯を通していまに至るのか、学生時代からさかのぼって、割と赤裸々に書かれてます。

 

構成としては、おふたりの学生時代から就職にかけての「自分探し期
いま自分のしていること、選んできたことは正解なのか、色々とやってみる「試行錯誤期
やりたいことを定め、それに向かって邁進する「理想の自分実現期
と大きく3つに分かれています。

 

呼んでいて個人的にぐっときたのは、就職活動について書かれている部分で
もしあの頃にこの本を読んでたら、自分の夢や目標に変なフィルターをかけずに好きなこと出来てたかもなあ、とおもう。
今となっては、あのとき何を考えて葬儀会社に入社したのかわからないし、辞めたい辞めたいと毎日念じつつ結局5年近くも勤めたのか、ほんと定かじゃないです。

 

 

あの時期が無駄だったとは思わないけど、やっぱり好きなこと、やりたいことになりふり構わず向かっていくべきだったよ。若かったもん。きっと「正社員になれるから」「給料いいから」っていう世間体と目先の利益だけで飛びついちゃった。今さらこんなん言っても仕方ないんだけどすこぶる後悔してる。

 

 

作中ではあちゅうさんが言っていることで
かっこ悪いことも率先してやってこそ、誰かの心が動く
という一文があって。
あー。あー。そうだね。そうだよなあ、とおもった。かっこ悪いことから逃げたんだな私は、ってね。親に認められたいから正社員になった。若いのにそんな大変な仕事やってるんだ、って言われたいから葬儀会社に入った。

 

 

実際認められたし、ちやほやもされました。この表現が適切かはわからないけど。
当時23とか24くらいで、しかも女性で、葬儀式とか宗教とかその当たりに関わって知識のある人なんて周りには同期の子たちしかいなかったし。
どこか満たされた気分というか、誇らしい気分でいたよ。
でもそんな時期は長くは続かなかったな。激務の中で友達は減ってやりたいことも見失って、とりあえず毎日毎日飛び込んでくる仕事をこなしてやっつけて。

 

 

こうやって思い返してると、うん、やっぱり人生、やりたいことやるべき。これをしたい!って思える何かがあるなら向き合った方がいい。誰も代わりにやってくれないんだし。責任だってとってくれないけど。

わたしだって遅くないと思ってる。
やりたいことやりたいと思って辞めたんだし、それでもまだ今この瞬間だって迷走してるけど。

 

 

 

あと個人的にもの凄く刺さった箇所があって

 

 

「エッセイやコラムを書きたいと言う人の9割が、特に普段から何かを書いているわけではなく、誰かを紹介しようにも、サンプル原稿も、作品を見られるブログなどもなかったりします。それは『書きたい』のではなくて『書く人だと思われたい』だけではないでしょうか。(中略)何者でもない人ほど、先に場所を欲しがるんです」

 

ここ。いてててー!という感じ。
まさにそう、おっしゃる通り。場所が欲しいんです。書きたいっていう欲はあれど形にはなってなかったり、とりあえず評価が欲しいだけだったり。

 

 

コラムやエッセイを書く人になるためには書くしかない。ただ漫然と書いていても意味はなくて、書きたいことが読み手に伝わるように書く、そして公に目に触れる場所に出す努力、然るべき方向へ発信する努力が必要。
謙遜しすぎず、自作のものを自信もって売り出す努力も必要ですよね。
そこからあわよくば誰かに見初めてもらって……なんていうシンデレラストーリーもまだまだ期待してしまいますが。
まあその辺だって努力の継続がなければ卓上の空論です。

 

 

夢を叶えるための努力って、字面では大層なことにおもえるけど、やろうと思えば今この瞬間からだってできる。
留学したかったらお得なプランを検索するところから始めるとか。
英語覚えたかったらSkype英会話はじめるとか。
起業したかったら関連書を読むとか。
結婚したかったら婚活パーティ行くとか。

 

 

後先考えずとにかくやってみる。
年齢は関係ないな、って今なら思えます。この本を読んだ今なら。