おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。

恩田陸「ネバーランド」を読んだ

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はー。自分の世界が狭いなあと感じることが最近とくに多い。もっと視野を広く持ちたい気持ちは常にある気がするんだけれど行動が伴ってない。そもそも視野を広くするってどうするんだ? 自分の世界を広げるにはどうすればいいんだ? 自分とは違う価値観の人ともたくさん会って話をして、海外旅行をしていろんな文化に触れて、人生経験というものをもっと積まなきゃならないのか? 5分でも時間があれば本を読みたい。私の世界は本と全国公開される映画とニコニコ動画と家族と信頼できる友人数人でできている。こう書くとそこまで悪い世界ではないし(少なくとも私にとっては)、世界が狭かろうが広かろうが、判断できるのは主観だけで、他人にわざわざ捕まえられて「お前の世界はなんて狭いんだ」と非難される謂れはないんだよな。そう思うと一気に楽になったわ。

 

 

恩田陸ネバーランド」を読んだ。

舞台は男子校付属の松籟館という寮。年末年始、それぞれある理由があって、帰省をせずに居残り生活をすることになった寮生である男子高校生4人(正確にいうと寮生3人と自宅登校1人)の、約1週間にギュッと詰まった青春くさい群像劇。

という触れ込みなんですが、少なくとも序盤は決して青春青春していない! むしろちょっとこわい! 鳥肌が立った!

美国(よしくに)というキャラを軸に、同級生の光浩、寛司、統という登場人物が、短い冬休みの中で互いの秘密を知り合っていく。きっかけは夜の空いた時間を潰すためにはじめたカードゲームだった。負けた者が「告白」か「実行」、すなわち、自身の隠していた秘密を暴露するか、他3人からの命令に黙って従うかを選ぶことになる。

まずはじめに統が、自分と、幼い頃にしんでしまった母親と間にある「疑惑」について思うところを話しはじめるんだけど、まー怖い。なんていうかこのキャラの、放っておいたら何をしだすか予想もつかないような、不安定な感じがすごく表現されてて、口は達者でひょうきんなのに目は笑っていないような様がありありと想像できてものすごく怖いんですよね。これはなんとも言えない。

真冬の深夜に奇妙なゲームをして、不意に吹く強い風で窓が鳴ってビクッと驚くような彼らの心地がそのまま伝わってきます。同じく夜に読んでいたらこわくて眠るのためらうくらいでした。輪をかけるようにそれぞれのキャラが抱えてる過去っていうのがこれまたどす暗くて、特に光浩くんが長年悩まされているある「問題」は生臭くて逆に冷静になってしまう。

 

不穏な導入部ですが、読み進めていくときらきらした青春ぽさが覗いてきます(青春ぽさって言葉にするとなんとまあ白けちゃう……)。男子高校の寮、なんて字面を見ただけでわくわくするから、時間が進んでいくにつれ、この字面から期待できる男子高校生たちの浮き沈み、瑞々しさみたいなものが感じられてホッとした。お互いの深い部分を知っていくにつれ、ある種の気まずさが生まれるのも若さ故なのかな、とも思ったり。だって大人になったらあまり他人の深い悩みに触れる機会は減るもんね。10代の頃みたいに易々と「こんなことでしにたいくらい悩んでます!」っておおっぴらに言うことは皆無に近いと思う。でもこれくらいの年齢だと、予期してないタイミングでいきなり相手の触れちゃならない部分に触っちゃったってことはままあることだと思うし、そのあと、どうしようって悩むのも彼ららしい。意外と晒し合ったあとも普通に話せたりして拍子抜けしたりとか。あるんだろうな。そういう一種の駆け引きも含めてたのしい。本人たちは疲れてるだろうけど。

 

この子たちの世界は決して広くはない。でも狭くもないとも思う。昼間は学校で勉強をして、終わっても帰る先は隣にある寮で。24時間「教師」と「生徒」が周りを埋めている環境が広いのか狭いのかという問題は、最初にも書いたけれど他人が判断するようなことじゃーない。と思う。狭いことは悪いことなのか、視野狭窄とよく言うけれどそれがイコール悪いことに繋がるのか。極論、本人がこれで満足だと思えばその世界は合っている。広げたいと思えば勝手に広げる。いまの世界を「狭いから駄目だ」と他人に判断されることを怖がらなくたっていい。良いと思えば良い。居心地の問題ですよね。

 

どこかコンプレックスがあった。決まった生活の中のルーティンをこなすだけで毎日が終わっていくことが、悪いことなんじゃないか? いつか何かのきっかけで、他人に糾弾されるんじゃないか、笑われて下に見られるんじゃないか? 自分が、これで満足だ充分だと思える世界を、狭い足りないとネガティブな言葉でけなされることへの恐怖。でも考えてみれば今まで生きてきて誰かにそんなことを面と向かって言われたことはない。結局みんな自分の人生にだけ集中しているし、良い意味で他人に必要以上に興味がない。私は私の足りている世界でこれからも生きていきたいと思うし、彼らもそうだと思う。

 

 

最果タヒを読んだ

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「夜空はいつでも最高密度の青色だ」をかるーい気持ちで手に取って(詩集だってこともあまり気に留めないで買った、今までまともに読んだことないのに)すっかり好みにハマりすぎて他作品も少しづつ追ってるところです。

 

恥ずかしながら、高校生の頃サイトつくって自作の詩を公開してた時期があり、毎日のように書いては上げて書いては上げて、って繰り返してた頃を思い出した。恥ずかしい。10代にありがちな自意識肥大化現象でした。恥ずかしいわ。

 

思えば大学入っても文芸愛好会はいって詩とか小説とか書いてたし今もこうやってブログ書いたり日記書いたりしてる。気が病んできたら何かしらの生産活動をすると良いって聞くのは言い得て妙だな。その通りですね。

 

最果さんの詩は正直に言うと何書いてあるかわからん。言葉まわしが好きで延々と読めるけど何を言いたいのかは露ほどもわからん。でもそこがいいです。このさき何回読んでも新鮮に感じるだろう。そういう風に確信できるっていうのが、なんでか安心します。

 

「夫のちんぽが入らない」を一気に読んだ感想

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「夫のちんぽが入らない」  こだま・著

 

一気読みしました。

一言でいいたい。読んで!

 

好きな人ができて、相手も自分のことが好きで、なんの問題もなく順調に物事は進んでいくのに、ただただ、「入らない」。

身体的にも精神的にも痛い。こんなことってあっていいんだろうか、あるものなんだこんな現象がこの世の中に。

辛いとかしんどいとか、言葉では片付かない。

他人の経験を字で追っているだけなのに、心情を想像するといてもたってもいられない。たまらない。

ほんとに、こんなことあっていいんだろうか。

 

このこと以外にも、様々な問題が駆け抜けていった20年の時間。

それでも、淡々と、「まあ仕方ないか」と、擦り切れるような思いを抱えながらも潔く、「これが私たち夫婦の生き方なんです」と言えるかっこよさ。

 

はー。

しびれる!

読んでよかった。女性であることに何故だか誇りを持てる。

恋人がいなくても結婚していなくても子供がいなくても私は生きてるし女だよって言いたい。

川村元気さんの「四月になれば彼女は」を読んださらっとした感想

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「四月になれば彼女は」  川村元気

 

映画プロデュースで有名な川村元気さん。「電車男」から始まって、直近で言うとあの「君の名は。」のプロデュースにも関わってるすごい人。

私は佐藤健さん主演で映画化もされた「世界から猫が消えたなら」がすこぶる好きで、過去にレビューも書いております。

そんな川村氏の最新小説「四月になれば彼女は」を読みました!

 

自分が何を考えてるかわからないとか

自分の好きなものがよくわからないとか

人に対する愛情が本物なのかわからないとか

そういう悩みを根底に抱えてる主人公。

 

私自身も抱えてる自覚がある問題が並べられていて、読んでいる最中どこか安心してしまいました。

たぶん25を超えたくらいから、他人にも自分にも必要以上に興味が持てない性質は、病名がつくレベルのものかそうでないのか判断がつかなくなっていて、いまは半ば諦めています。

それでも、そんな状態であっても、たとえ受け入れられなくても、向き合おうとする気持ちが少しでもあれば許してあげてもいいんじゃないか、と思えるようになりました。

 

 

大学の頃に写真部で出会った主人公・藤代と新入生ハル。

二人は清潔な恋の中にいて、お互いがお互いに向ける気持ちは正しいものでずっと変わらないと何故か思っていた。けれどその恋愛だけが例外として進んでいくことはなく、ちょっとした掛け違いと諦めで簡単にそれは終わってしまう。

 

それから時は経ち、藤代はハルとは違う女性と結婚を決めた。ハルとの生活は確実に過去のものになり、結婚式の準備が着々と進んでいく。

妻となる女性・弥生は獣医をしており、自分の意見をしっかりと持ったある意味主張の強い人。

少しづつ会話は少なくなっていくけど、食事や映画の趣味は合う。

不思議と、好きなものよりは嫌いなものが被ることが多い。

お互いの気持ちが見えなくなる瞬間はあるけど、夫婦になるっていうのはそういうことだと割り切っている。

そんな中、思い出の中にいたハルから一通の手紙が届く。

 

 

まっ正直な感想を言うと

川村さんの今までの作品と比べると、いわゆる「強い色」みたいなものはない。

起伏がなくテーマが溶け込んでいるようにもみえる。読んでいて途中で投げ出す人もいると思う。

けど、似たような記憶とか悩みとか痛みとかをかかえた人間にはどうしようもなく響く話だと思います。

よるのばけもの、を読んだ感想

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「よるのばけもの」住野よる著

 

 

新年1発目!

2017年もよろしくお願いします。今年もマイペースにいろんな本を読んでいきたいと思います。

2016年から2017年にまたいで読了した住野よるさんの「よるのばけもの」。

大好きな作家さんの本で新年を迎えられてしあわせだなあ、と心から思いました。

 

住野さんの作品が大好きで大好きで既刊全部単行本で買って読了してます。「君の膵臓をたべたい」と「また、同じ夢を見ていた」。とくに同じ夢の空気感がたまらなくて、幸せのかたちっていうのは人と同じ数あるものだっていうことを肌感覚で教えてもらった。何度も読み返して近くに置いておきたいと思えるくらい大切な本です。

 

この「よるのばけもの」も、いつまでも手元で大切にしたいと思える物語でした。

 

男子中学生である主人公は、夜になると化物になってしまう体質。睡眠を必要としない彼は、体が化物になってしまうのと同時に夜の町に出ていろんなところを渡り歩く。

砂浜で海を眺めて過ごすのがお気に入りになりつつあったある日、課題を教室に忘れてきたことに気づいて初めて夜の学校へ忍び込んだ。

そこで出会ったのは、普段教室で完全に浮いている、同じクラスの女生徒。

彼女はなぜこんなところに?

不思議なイントネーションで話す彼女はにんまりと笑いながら、「夜休み、なの」という。

 

ざっくりとしたあらすじはこんな感じ。

 

教室内の空気感って独特なものだと思っていて

特に中学や高校の教室って思い出すだけで胃が縮こまってくるような

居場所がないような、いつも誰かがこっちの様子を伺ってるような

必要以上に自意識過剰にさせられる空間っていうイメージが未だにあります。

 

わかりやすいイジメじゃなくても

いじられ役というか、ちょっと変わってる人ポジションというか、そういうのは絶対にあるし

絶妙なバランスで保たれていた大事なものがひょんなきっかけで向こう側に倒れちゃって戻せなくなる、そんなことも簡単に起こり得る空間。

 

住野さん自身が現役の中学生じゃないと納得いかないくらい

細かい部分が精密に病者されていてこわいくらいでした。

 

「自分」がいて

「クラスでちょっと浮いてる人」がいて

仮に周りに誰もいない状態で一体一で向かい合ったら、きちんと一人の人間としてお互いを認識できるのに

そこに「第三者」っていう世間の目が現れると途端に時分の立ち位置を考える。思考がそういう方向にシフトしていく。

 

ここで彼や彼女を肯定する発言や態度をしてはいけない、とか

わたしは大多数側ですよ、とアピールしなきゃいけないとか

いろんなことを考える。

人対人のコミュニケーションに「第三者」は関係ないはずなのに!

 

改めて、そういう自分の中のエゴを見つめ直すきっかけを与えてもらった気がします。

少しネタバレですが、決してこの物語も気持ちのいい終わり方をするわけではないです。誰もが認めるハッピーエンドじゃない。でも、作中の「彼」や「彼女」にとっては少なくとも、1歩を踏み出した大切な記憶になるんだね、と思える。

 

あー。

それにしても住野さんの作品が好きすぎる!

今年も楽しみです。

 

たくさんたくさん、ジャンルを問わず様々な作品に触れて

自由に吸収していきたいな、と思います。

 

「光」三浦しをん

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この作品を読む直前に「秒速5センチメートル」の小説版を読んでいたせいか、まーた一人の女に狂ったように執着した男が狂ったことしでかす話か、と思っていたらおおよそ期待を裏切らない話の展開でした。

三浦さんの作品は「舟を編む」と「風が強く吹いている」を読んだことがあったんですけど、漠然ともってたさわやかなイメージが覆されました。いい意味で!

 

舞台は美浜島という島。山も海もあって椿の赤い花がわんさか咲き誇る谷は観光名所ではないけれど十分うつくしいところで、そんな場所に住む中学生・信之と美花、小学生の輔くんが主な登場人物。

 自然も多くみずみずしい舞台ですが、信之と美花は中学生のくせにやることやってる進んでる中学生だし、灯台守のおっちゃんからしっかりコンドーム買ってる妙に現実的っていうかリアルなところが悟ってるいまの子どもっぽい。

 

この信之少年が美花ちゃんのことめちゃくちゃ好きで、それはもう思春期の男子っぽく半ば自覚症状が薄くなるくらいに惚れ込んでいて、見ててあーはいはい、って思うし、たぶんこの男は読んでいくにつれ美花ちゃんによって身を滅ぼすんだろうなと思う。そんでだいたいその通りになっていきます。

美花ちゃんの小悪魔ぶり、手のひらで男転がすよ感もすごい。中学生の時点で心得てるスキルが高すぎる。魅力がすごいよ!

 

そんな行き過ぎてる中学生たちの周りをぴょんぴょん飛び跳ねてる頭の弱い小学生・輔くんがまあかわいい。信之のあとをついてまわって遊んでもらいたがってる年相応ないいこ。でもこの子も酒乱でクズ野郎な父親に毎晩殴りつけられて顔に痣作っちゃってるような訳ありボーイです。天真爛漫でなにも考えてないように見せかけて、心の中ではつねに「ぜんぶ終わってしまえばいい」とくすぶるように思い続けている。

 

そんな中で、島に大津波がやってきて町が壊滅します。

生き残ったのは信之・美花・輔くん。あと数名の大人だけ。

こんな小さい島で、生き残ったのはたった数人。いったいこれからどうやって生きていく?  って子どもたちは一瞬だけ途方に暮れるんですけど、輔くんに至っては「やりー!  めんどくせえもん全部波がかっさらっていったぜ!」と大喜びだし、信之なんて「生き残った生殖可能な人間は俺と美花だけ、ふたりでどんどん人間を増やしてこの島を再生していく、神とは俺のことだ」って平然と考えたりしていて、あ、これがサイコパスってやつ?  と割と本気で引きました。

 

津波によって大きく変わらざるを得なかった生活。そこから三人の人生は交錯しつつ、なんとも物悲しい最後へとつながっていきます。

 

決して爽快な話ではないんですよね、これは各々の感じ方だとは思うんですけど(こんなこと言いだすと全部の作品がそうなんですけど)、語る人間の視点によってはハッピーエンドでもある、と思う。

 

少なくとも輔くんはしあわせだったんじゃなかろうか……。どこまでも輔くん贔屓ですが、とんでもない親父の保護下で逃げられない暴力に甘んじ、津波のおかげで解放されると思いきや、良い歳になっても結果的になんら変わってない状況に絶望して、でもほんとうに最後の最後で、終わらせてくれたのは大嫌いな親父の手ではなかったんだよ。あの瞬間にはじめて彼は報われたんだとおもうともう何も言えない!

 

「大きな波が、俺を遠くへ連れていってくれるのを。待っていれば必ず、それはどこかからやってくるって知ってるか?」 

 

輔くんは結局、はやく終わらせてほしかっただけなんだろーなあ。

どうぞこの作品を読んで輔くん贔屓になってください。

 

 

 

 

 

何者

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10/15公開、朝井リョウ原作「何者」実写映画、見てきました!

6人の男女が就活というものを通してぶつかったり成長したりする人間群像劇(……といってもいいのかな)

朝井リョウさん大好きで原作読んでたので公開楽しみに待ってました。というかもうキャストが良いよね。実写映画化決まった時点で見に行こうとは思ってたけどキャスト見てさらに意志が固まった。見に行かないと後悔するやつだと確信した。

現にわたしは今日一回目を見に行く前から、ちょうど一週間後にもう一回見に行く予定を立てています。

実際これは二回行く価値あると思う!

割とどの映画でも言ってることですが……。

 

 

「就活」ってものを経験したことがある人がこの映画を見たらたぶん、上映中に二、三回は顔しかめると思います。わたしはしかめた。

いたよね、学生のくせに名刺つくってせっせと配り歩いてOB訪問する子。どっか浮世離れしてて「就活とか関係ありませんオーラ」出してるけど内心めっちゃ焦ってんだろうなって奴も一定数いたし、試験の予定入れまくってダブルブッキングとかやっちゃって気づけば講義にも出られないくらいスケジュールみちみちにして本末転倒になってる人とか。

そういう「就活に振り回されてる人間たち」を一歩引いた視点から見て気取ってる傍観者系も確実にいた。今作の主人公はこのタイプです。

 

面白いくらい「就活」と「その周りにいる人間」を描き出してて、当時のことびしばし思い出しちゃってわたしはもう何度顔しかめたかわからない。

エントリーシートのくだり、名刺のくだり、あと作中でこれでもかと存在感かもしてるツイッターのくだり。

 

覚えたての言葉をつかって言ってみると、これは「承認欲求」の問題では?   と思った。

必死でエントリーシートに上手く取り繕った嘘書くのも、名刺配って顔と名前アピールするのも、ぜんぶ他人に認めて欲しいからだね……。自分でも苦しいほど覚えがあるからよくわかります。変に焦っていろいろやるけど心のどっかでは、上手くいってない他の友達の様子見て安心してるタイプだった。わたしはまだ誰にも認められてないけど、あの子もまだ誰にも拾ってもらえてない、だから大丈夫だ!  って。何が大丈夫なのかって話だけど。

 

自分で自分のことはよくわかってるつもりだけど、いろんな会社受けて受けて受けまくって落ちまくるたびに、わたしの何がだめで落ちてるんだろう?  ってわからなくなってくる。

落ち着いて自己分析して、直すとこ直して次に行くんだけど、その分析自体も他人からしたらてんで見当外れだったりして、あーもー終わりー。っていう。終わりが見えない。

 

二階堂ふみちゃんが「頑張ってる自分を実況中継してないと、もう立ってられない」と言って泣き崩れるシーンがあるんですが、気持ちがわかりすぎて目頭熱くしました。あー、わたし就活の時ツイッターやってなくて良かったーって心底思いました。いややってたのかもしれないけど覚えてない。そこまでメジャーではなかったはず。今みたいにツイッターやってたらきっと目も当てられないそれは酷い有様になってたはずだ。今も大して変わらないだろうけど。

 

何者かになりたいのはみんな一緒、認められたいと思うのは人間のもつ不変の欲求!!  そう思わないとわたし、もう立ってられない。だからブログもやるしツイッターもやるんだよ。一人か二人くらい読んでくれてあわよくば共感とかしてもらえたらもう言うことないと思うし、もうそうなったらその時点でわたしは誰かにとっての「何者」ではないですか?

 

 

かつてこんなに体よくおさまった記事があっただろうか……。