語彙力こそが教養である
齋藤孝さんの
「語彙力こそが教養である」。
大変勉強不足で申し訳ないのですが、齋藤孝さんはそれはもうたくさん本を出されてるんですね。
この本に感銘を受け(なんて使い古された言い回しでしょう)、図書館に行ってみたらべらぼうな冊数が所蔵されてました。
読書が好き過ぎてライスワークを通り越して最早病気の粋なわたしですが、読書や言葉についての書籍自体には近づいたことなかったんです。
どうやら齋藤孝さんはそちらの方面では権威のあるお方らしい!
一気にファンになりました。
これから読み漁ります。
この「語彙力こそが教養である」に書かれているのは、
日々の読書や映画鑑賞、音楽鑑賞だけではなく、テレビ視聴やインターネットをも通して語彙力を鍛えられる、いわゆる
「語彙トレ」!
が出来るんですよ、というお話です。
普段読書をしていて、わからない単語や専門用語があっても、文脈から適当に推測してそのままにしちゃうこた、ありますよね~。あるある。とてもある。しょっちょうある。
そこを、少し手を止めて、改めて調べてみたら、もしかしたら思ってた意味と違うかもよ?!
この機会に正式な用法を覚えてストックしていこうよ! ということです。
それが出来れば苦労はないんだぜ、と冒頭は思ってしまうんだけど、読み進めてみると不思議です。どんどんやる気出てきます。
ああ! 早く論語読みたい!
と、なってきます。ほんと不思議です。
語彙力=教養になるのは、言われてみれば確かにその通りですよね。知ってる日本語が多く、意味を知ってる言葉、正しく使える慣用句なんかが多いと、会話も豊かになるでしょう。
斜に見ちゃうと、
「普段頭の良い人と話す機会なんてないから無駄だし、知識ひけらかすような話し方してたら即ハブだわ~~」
とも思ってしまうんですが
齋藤さんが伝えたいのはそういうことではない。
日々の読書や映画鑑賞などを通じて、意識的に使える語彙を溜めておくことで、同じ会話レベルで交流できる「層」が違ってくる。
それがいかに人生を豊かにするか、
人間関係を実り多いものにするかを知りなさい、ということ。
この考え方、いけすかない! って思う人も多いかもしれませんが、やってみる価値は大いにあると思うんですよね。特に社会人は。そして更に絞るなら若い人。
偉い人との会話はバカがバレやしないかって終始ヒヤヒヤして疲れるけど、語彙トレやってたらそんなしんどいことにならないのでは?
わたしは試してみます。
語彙トレ。