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おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。いつかお一人様専用のカフェを作りたいという夢があるので店名の候補をタイトルにしました。

今朝みた不思議だった夢のはなし

今朝すごく不思議な夢をみた。得体のしれない真っ白いバレーボールくらいの大きさの動物を飼い始める夢と、おばあちゃんがしんでしまう夢。このふたつは場面がくっきり分かれた夢で、動物の夢が第一幕、おばあちゃんの夢が大二幕というかんじだった。

バレーボールくらいの大きさの動物のことを私は夢の中では「ハムスターだ」と認識していた。でも目覚めたいま思い返してみるとあれは明らかにハムスターなんかじゃねえ。そもそもでかすぎるし、かといって犬や猫とも違った。色は真っ白で毛並みはつるっとしている。いつも両手で抱えて移動していた。夢の中で。

現実では絶対にそうはいかないだろう、という態度で私はその動物の面倒をみているのだ。決まった時間に餌をやるだけであとは勝手に育っていくだろう、という考えで適当に飼っていた。実際の私ではこうはいかない。そもそも動物はあまり好きではないし、動物を飼うことによって必然的に発生する、命への責任を背負う覚悟が全くない。こわい。無理だ。一人でさみしいから犬でも飼ってみようかな、なんて1ミリとも思ったことがない。一人でいるこの部屋に自分とは別の生き物が蠢いている感覚は想像できない。そうだ動物がこわいんだ。でも、動物のことを可愛がれる人たちに対してものすごく憧れがあるんだ。だって愛があるもんそこには。生き物に対する無償の愛がないと世話なんてとてもじゃないか続けていけないじゃないか。餌だけじゃない、なんかケージとか、リードとか、必要なものいっぱいあるんでしょ。定期的に病院で検査もするんでしょ。下手したら人間診てもらうよりお金かかるっておばあちゃん言ってた気がする。実家には昔、コロっていう名前で可愛がってた柴犬がいた。赤いマフラー巻いて、散歩だっていってんのにおばあちゃんに抱っこしてもらって帰ってきたりした。老衰でしんでしまった。そうだ、動物を飼うってことは、あの最後の瞬間まで責任をもつってことだ。無理だ。夢の中の私はなんとお気楽野郎だったことか。

 

その後にすぐおばあちゃんがしんでしまう夢をみた。

ものすごく不思議だった。何もかもが。場所も、いまの家ではなくて昔住んでいた家で、ソファベッドみたいなやけに簡易的なところに寝そべっているおばあちゃんがいた。その横にぴったりと付き添っている妹がいて、私はその後ろから黙ってみている。あれがいわゆる神の視点というやつ? で、一番不思議だったのはおばあちゃんの顔。おばあちゃんの顔が本の表紙みたいになっていた。黄緑や青で塗られた表紙の、顔でいうと目にあたる部分にタイトルが書かれていて、瞬きするときみたいに、そのタイトルの文字が歪んだりねじれたりしていた。しばらくそのまま、おばあちゃんも妹も私もなにも言わずに黙ってお互いを見ていたんだが、不意におばあちゃんが「わたしは、もうそろそろかもしれない」というようなことをポソリと呟いて、だんだんとタイトルの文字が揺れなくなった。妹が泣く声が聞こえた。いま思うと、コロがしんでしまった時にきいた彼女の泣き声と似ていたかもしれない。私は、揺れなくなったタイトルに手のひらをあてながら時間を確認した。あのタイトルがどういうものだったかはどうしても思い出せない。