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おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。いつかお一人様専用のカフェを作りたいという夢があるので店名の候補をタイトルにしました。

ここをつくったわけ

どんな本を読んだのかとか、この本を読んでどんなことを感じて、どんなことを考えたのかとか、書いておかないと片っ端から忘れていく人間です。どんなに感じ入った話だとしても、あらすじとか登場人物の名前とかいとも簡単に頭から消え去る。びっくりだ。この本読んでえらく感動したよなあ! という漠然とした曖昧なイメージは残ってるんだが。だから、共通の本を読んだ人と感想を語り合うということが情けないくらい下手だ。本当に読んだの? って疑問に思われても仕方ない。読んだっちゃ読んだんだけど覚えてないんだよねえ、ってそれはもう読んでないようなもんだよね。意味ないから。こういうことをなくしたくて、出来るだけ目に留まるところに残しておこうと思ってここをつくったんです。

 

だから、もしもここの文章をちらっとでも見かけて、この本面白いんだー読んでみようーと思ってくれる人が1人でもいたなら嬉しいな。ここが存在する理由は100パーセント私のためだけれど、そのうち数パーセントでも他の人のためになるようなことがあったら、それはもう天がひっくり返るくらい青天の霹靂。ラッキーといえばラッキー。けれど、あえて大げさに書くなら、ひとさまに影響を与えたんだと思うと、こわくもなってくるんだよなあ。これは身勝手な考え方だけれど、そもそもこの場所自体が成分100パーセント身勝手で出来上がっているので許してもらえるはずだ。要は自己満足でやっているだけなので好きに取捨選択してもらいたいという話。誰にも読まれないで忘れ去られているとしても、私が覚えていればいいんだよ。

 

書評ブログと題して立ち上げたので、書評以外のことは書いてはいけないと思ってそうしてきたんだが、一人でこそこそとほぼ日手帳に日々の愚痴を書き殴るだけで終わってしまうのもなんだかなあ、と考えるようになってきたので(愚痴で埋まってしまうほぼ日手帳ほど不憫でかなしいものもないな)、たまにはこういう取り留めないことも書いていきたいなー。と思います。これもまあ0から100まで自己満足ですから。誰にも咎められることなく思ったことを書けるだなんて、ネットというものは万能だな。万能感を与えてくれる文化だな。この時代にうまれた私たちはラッキーなのかそうではないのか。いまパッと思いつくことで確実に言えることは、明らかに足腰は弱っているよね。ネットだのパソコンだの無い時代に生まれていれば少しは筋肉がついただろうか。その前にただ生き続けることへの過酷さに打ちのめされて早々にしんでいるだろうな。生きる力がない。それは今も変わらないけれど、補ってくれる偉大な文化が助けてくれている。人間は一人では生きていけないっていうのはもしかしてそういう意味か?