おひとりさま

毎日読んだ本の感想を書いています。

ずるい自分を許すためにまず意識したこと

前回の記事でもちらっと触れたんですが

 

ohitori-y.hateblo.jp

 

自分を好きになるには、まず自分の「どんなところが嫌いか」を明確にして、見つめて受け入れて許す、っていうプロセスが必要だと知って

ひとまず私は自分自身の「ずるい部分」が嫌いだ、とここはもう明らかなので

ここからやっつけていこう、と思うに至りました。

 

ずるい自分を自覚して見つめて受け入れて、許すためにまず、意識したこと。

自分のためにも書いておこうと思います。

 

 

 

 ・どんな時に自分のことをずるいとおもうか

 

ずるい自分を見つめるために必要な前段階の作業として、どういう瞬間にそういう自分を感じるか、ていうのをはっきりさせたい。

 

わたしの場合は、何を置いてもまず仕事のとき。

大なり小なりミスをして、「あ!またやった!」となった時に、正直に先輩または上司に報告して、そこから素直にリカバリーを図れない、とき。

ミスしたけど、なかったことにする。

見て見ぬふりして隠蔽して流す。私じゃないですよーって顔をして、そのまま仕事を無理矢理に終わらせ、何気ないふうに「お疲れ様でしたー」って、帰る。

 

あともう一つあって、人と会う約束をする時とか、断りたくてとっさに嘘をつくとき。

仕事だから、って言ってとにかく断りまくる。人と会いたくない会話したくない、そんな時に半ば条件反射で嘘つくようなときに、「あーずるいなー」となる。

 

(ここで言っておきたいのは、決して会う友達や知り合いのことが嫌いなわけではなく、ただただ私の問題なんだよってこと。病気みたいなもんなんだ、これという理由はないんだけど人と会うことに耐えられないときがあるんだ)

 

上記2つのシチュエーションで主に自分のずるさを実感するわけですが

この真っ只中で私が何を考えているかというと、ひたすら罪悪感です。そして逃げの気持ち。ひたすら逃げ去りたい、この状況が過ぎ去ってほしい、早く時間が経って無かったことになればいい、っていう気持ち。

 

さて、こんな時に、次の段階として何をすればいいか。

 

 

・ずるい自分をただひたすらにみつめる

 

「みつめる」ってどういうことか、私なりの解釈でいうと

その状況を体中で感じる、っていうのと

その時の感情をひたすら味わう、っていうことかな、とおもいます。

今まではそんな自分を認めたくなくて、受け入れたくなくて、逃げたい逃げたいとおもって視界にも入れずに逃げてましたが

そこをぐっとこらえる。

努力が必要だとしたらここかな、とおもう。

 

正直にいって今のわたしはまだまだこの段階です。逃げずに目を逸らさずにいるだけで、現実では何の行動も起こしてません。

本来であれば、ミスを自己申告して謝らなきゃならないんだけど、人間としてそのレベルに至っていない。いずれはこんな自分もみつめて受け入れなきゃならない、とは頭ではわかってるんですが。

 

そして、そのあとはもう

 

・受け入れる、そして許す

 

だけです。

最後まで、ずるい自分を更生する行動は起こさないつもりか、と思えてならないですが

受け入れる、ってのをきちんとやり切れてから、の話なんです。それは。

そして心底許せてからでないと素直になれない。謝れない。世間の人からみたら何を甘えてんだ、と石を投げられるでしょうが。

 

受け入れるというのは、イコール許すだとおもいます。受け入れられたらもう許したのと一緒というか。

許せるのは自分しかいない。だってこんなずるい自分を手放しに許す人なんて自分以外にいないし。親だって厳しいよ。

だったらまずは、自分だけは認めて許してあげる。はっきりと「許せたな」とおもえるサインみたいなものは、ずるい自分を意識しても心が重くならなかったら、かなあ。

「ああずるいよ、でもしょうがないじゃん!」って開き直れるかどうか。

判断材料はそのへんの心の動きかなとおもう。見逃さないためにも常に自分の感情を意識して、みつめてあげることが大事だと。

 

 

ここまで書いてきて思ったけど、めちゃくちゃ壮絶な道のりだ。受け入れて許す境地に至るまでいったい何年かかることやら……。

もしかしたら死ぬときまで完全には受け入れられないままかもしれませんが、まあ、そのときはそのときで。