読書なんてくそくらえと思っているやつはこれを読め
冒頭から痺れるぜー。
読書なんてなんの意味があんの?という趣旨の大学生による新聞投書を挙げ、あくまでも趣味なんだから読みたくなかったら読まなきゃよろしい、それで自分の世界を狭くしているのは他の誰でもない自分の行いのせいだよ、と投げかける「はじめに」。
自分の世界を不自由にしてるのは自分のせい、そのケツは自分で拭けよと喧嘩をふっかけているぞ初っ端から。わくわくしてきたぜ!
読書そのものに関して、本なんて読みたくなかったら読まなければいいという考えには概ね同意です。
ツイッターでも触れましたが
丹羽宇一郎さんの「死ぬほど読書」という新書の冒頭に、読書の必要性を問う大学生の新聞投書が紹介されてる。読書なんて役に立たない、ただの趣味じゃないかという趣旨で書かれてますが、概ね同意です。読書は趣味です。読みたいやつだけ読めばいい、本なんて。
— 匿名U (@yuu_uu_) 2017年8月27日
これに尽きる。読書という行為そのものを高尚だと勘違いして読まなきゃ読まなきゃってなってる人もいるのかもしれないけど
あくまで趣味ですからね。好きにしたらいいんです。
読書とネット
読書量が減っていることとネットの普及は相関関係にある。端的に言って読書って字を追わなきゃいけないから面倒だし時間も手間もかかるし、思考力想像力を総動員して読み進めなきゃいけないから、そりゃ漫画や映画の方がエンターテインメントとして咀嚼しやすい面はあるよね。
ネットもそうだと思っていて、こちらが完全に受け身でいても勝手に情報が入ってきてくれる。短時間で大量の情報が取れるコスパの良さは流れの早い現代について行くためには必須のメリットだ。そういう点で考えても読書は遅れをとる。
本書ではこうかかれてます。
どっちがどう悪いとか良いとかいう話ではなく
ネットにはネットの、読書には読書の美点欠点がそれぞれあるから、各々で取捨選択しつつどちらかに偏りすぎることのないように利用していこうぜ、と言いたい。
この見方を踏まえた上で、自分には読書は不要と切り捨てるのも自由だし、そうしたらそうしたで情報の取り扱い方も自身の裁量によるんだから、振り回されたとしても自身の責任だよ受け止めようね。お互いにね。ということだね。
身銭を切って知識を買う
常日頃、書店や古書店で本を買ったり、図書館で借りたりして読む本を調達する日々ですが
借りて読む本よりも、自分でお金を出して買った本・人がお金を使って贈ってくれた本の方が脳に言葉が浸透していく感覚が強いです。
これはなんだろう。やっぱり金の力なのか。
著者も本文の中で
2000円の値段がついている本なら、2000円で仕方なく買わされたのではなく、自分から2000円という値段をつけて買ったと思うべきなのです。自分でそれだけの評価をして買ったんだと思えば、熱心に読みたくなるのではないでしょうか。借りるのとは違って、身銭を切って本を手にすることには、そういう重みがあるのだと思います。
と書かれています。
これを読んで、節約と称して新刊を買うのを避けていた自分を恥じましたよ。自分が興味があって、読みたいと思うならそれこそ身銭を切って知識を得るべきだとおもえました。血となり肉となって確実に私のものとなるはずだ。そう信じてこれからも読みます。ただの趣味ですが。