おひとりさま

@yuu_uu_ 本の感想ブログ

TOO YOUNG TO DIE!

 

TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
6/25公開!見てきました。

 

 

「こんな地獄なら落ちてみたいと思える地獄を描きたかった」とお話されていたクドカンさんのおっしゃる通り、死んだあとに地獄が待ってるとしても楽しみに出来るような、はちゃめちゃな地獄が描かれてました。
天国よりも遥かにこっちの方が楽しそう!

 

 

神木隆之介くん演じる大助を含む修学旅行中の高校生35名を乗せたバスが崖から転落。

大多数が天国へいく中、何故か地獄へ落とされた大助は、そこで長瀬智也演じるロックバンド「地獄図」(ヘルズ)のボーカル・キラーKに出会う。
現世に未練たらたらな大助は、再び人間として転生し、片想いのクラスメイトに再会するため修行を開始する! という物語のはじまり。

 

 

「地獄図」(ヘルズ)はじめ、様々なバンドの音楽が作中で鳴り響くので、ギターのガチャガチャした激しい音が八割を占めるくらいの勢いです。こういう音楽が好きじゃない方には苦痛な場面がちょいちょいあるかも。

 

それでもやっぱり、映画タイトルでもある「
TOO YOUNG TO DIE! 」は良い曲です。

 

 

地獄に一度落ちてしまったら、毎週金曜に受けられる閻魔さまのテストに合格しないと転生は叶わず、それも「人間道」へ進める可能性はごく僅か。だいたい「畜生道」で、良くて犬、最悪アブラムシ…………と思うと、人として現世で生きていられるこの瞬間が尊く思えてきます。

 

 

 

 

以降ネタバレになりますが

主人公大助が地獄落ちした理由、
作中では「小なのにトイレの水を大で流したから」「アンプの上に飲み物を置き、挙句の果てにぶつかってそれをこぼしたから」
などとされ、最終的に「おやつのバナナを喉に詰まらせて」自殺、と見なされているんですけど
(地獄では、「自殺」が最も重い罪)

鑑賞後、一緒に見てたうちの母が

「地獄落ちの理由、喉にバナナ詰まらせて苦しんでる時に運転手にぶつかったからだよね」(=そのせいで手元が狂いバスが崖から転落し大多数の生徒が命を落とす結果になった)と言っていて

作中やパンフレット等でも一言も語られていなかったので、本当のところはどうなのかな……と思っています。

 

 

 

深読みできるポイントが他にも隠れていそうな、クドカンワールド全開の、七転八倒ありながらもハッピーエンド、最後まで安心して笑いながら見られる、これこそエンターテインメントだな! と感じられる映画でした。

海賊とよばれた男 上下

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百田尚樹さんの「海賊とよばれた男(上)(下)」
2013年本屋大賞も受賞された作品。
恥ずかしながらこのたび初めて読みました。
 
百田さんの本は、ベストセラーになり映画化もされた有名なデビュー作「永遠の0」や、「モンスター」を読んだことがあります。
どれを読んでも面白く、世界観に引き込まれてあっという間に読み終わってしまう印象。
 
なのでこの作品も期待大で読みました。
さすが、百田さん!
期待裏切られることなく、上下巻の長編ですが、だれることなく最後までノンストップで読めました。
 
 
 
着るものにも食べるものにも困窮するような戦中、戦後の日本。
日本政府はGHQの占領下に置かれ、思うように行政を動かすことも叶わず、敗戦国としての屈辱を味わう中、決してそれに屈することなく、最も大切なのは「国民」と「国家」であると信じて行動し続けた国岡鐵造という人物。
 
この作品中、一貫しているのは、戦前から戦中、戦後にかけて、国岡鐵造率いる「国岡商店」という石油会社が、いかに日本のため、そして日本国民のために尽力してきたか。
 
国岡鐵造という人間1人の英断のおかげで、今の日本はあるんだなと思えるくらい、痺れるような展開の繰り返しで、ある意味だんだん頭が麻痺してくるような感覚にもなります。
 
 
解説で明かされているように、この「国岡商店」は、あの有名な「出光興産」のことで、「国岡鐵造」はその代表者である「出光佐三」その人です。
 
戦後の日本復興については、あらゆる媒体で今日まで語り継がれており、
若い世代にも、漠然とではあれ、大変な時代があってこその平和なのだと、知識として広まってはいるはずです。
 
ただ、より身近な体験談としては触れる機会が皆無に近い。
このような小説があるおかげで、その一端でも知ることができて、日本人としての誇りを再確認出来た方も大勢いると思います。
 
若い人にこそ読まれるべきだと心から思います。
戦後の日本を血肉とする。
その時代に生きた人に、直接会って話を聞くことの難しさに躊躇する前に、この作品を手に取るべきです。
 
 
お気に入りのシーンがいくつもあります。
あえて一つ挙げるとしたら、国内の石油が究極的に枯渇し、GHQを通して外国から輸入しようと動くも、あっさりと拒否され、挙句の果てに「タンク底を浚って油を絞り出せ」とまで言われた後の、鐵造さんの行動。
 
言われた通りにするんです。
過酷だと分かりきっているけれども、家族同然の社員達を各地のタンクへ送り込み、底へ下りて油を浚うように命令した。
 
現代の一般的な会社でこんな仕事させようものなら、ああだこうだと文句ばかりが出て、実際に動こうとする社員なんていないに決まってる!
 
けど、国岡商店の社員たちは違うんです。
それが社長のため、ひいては日本のためになるのならと、1ミリも躊躇せず迅速に行動します。
 
1人10分以内に作業を終えないと呼吸困難で気を失うような現場で、誰一人弱音を吐かず笑顔が溢れた。
現場視察に訪れたGHQのお偉いがその様を見て、後に国岡商店のため便宜を図るよう処置したりする。どんどん味方が増えていく。
 
その瞬間だけの損得で動いても何ら価値は生まれないという教訓も身に沁みるシーンです。
 
 
このような、ハッとさせられる場面も多いこの作品。
まだ読んでない方には、何よりもおすすめします!

能サポ!

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能町みね子さんの「能町みね子のときめきサッカーサポーター略して脳サポ」!

しばらく前に読了していたのですが、
時間を置いて改めて、感想をつらつらと、してみます。


まずこのタイトルからして……ん?!  ですよね。能町さんファンとしてどんなに贔屓目に見てもそそられ過ぎるし、目に飛び込んでくる。どういうこと?!  ってなりますよね。

これは能町さん(と編集担当者スルギくん)が、香川のサッカーチーム「カマタマーレ讃岐」を応援する傍ら、香川のうどんを愛で始め、いつの間にかサッカー応援<うどん食レポになっていく過程を詳らかにした本。

作中でも能町さん自身触れられてますが、カマタマーレ讃岐っていう名前がね!  もう、ね!
素晴らしいの一言です。
マークにもうどんが入ってる徹底ぶり。
香川に行ったこともなければうどんを食べたこともない、そもそもサッカーどころかスポーツ全般ルールを知らない観戦もしないわたし。

そんなわたしでも素直に応援したくなるようなネーミング。感服。
釜玉うどんからきているのはもちろんですが、そこから「ーレ」に繋がってくるのが単純なようでいて、意表を突いてくる展開。

この本を読んで、わたしはサッカーのサの字も知りませんが、やたらとカマタマーレ讃岐にだけは詳しくなりました。
あと、うどん。

能町さんの、期待を超えてくる軽快で読みやすい文章は、毎度のことながら気付いたら読み終わってる勢いなので、今回は意図的に「1日1章しか読まない!」って制限をかけたくらい。

「能スポ」を読んだ時も思いましたが、わたしにとって、読むことが苦にならない文章においては、能町さんの右に出るものはいないです。

うどんの食レポも、一箇所残らず現地に行って食べたくなる……。
香川のうどんって今更何を言われなくても「掛け値なしに美味しいもの」ですが、食べたことがない身としてはまだまだ未知なもので、読めば読むほど食べたくて仕方なくなりました。

それはそうと、
美味しいうどんほど、温よりは冷で食べた方がいいんですね!
きゅっと締まって、よりコシが引き立つものらしい。世間では常識なんでしょうか……?  そんなこともこの本で初めて知りました。

生涯で一度は香川に行くべきだー。
行きたい香川!
食べたいうどん!

番外編?「世界から猫が消えたなら」

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14日から公開されている映画「世界から猫が消えたなら」見てきました。

4年前から猫と2人暮らしをしている、ごく普通の郵便配達員である「僕」。
とある日なんの前触れもなく悪性脳腫瘍があることが発覚し、余命僅かだと宣告を受け途方に暮れる。
そんなとき、自身と全く同じ姿形をした「悪魔」が目の前に現れ、ある取引を持ちかけられる。

「この世界から何かひとつ物を消す代わりに、1日分、命が延ばしてやる」

迷った末、「僕」はその契約を交わしてしまう。命を1日だけ長らえさせる代償として、この世から様々な物が消えていく。
電話、映画、時計……。

自分の命のためだけに、果たして犠牲にしていい物だったのか。そこに何の意味があるのか。
自分の命ってなんだ?
生きるってなんだ?
一番大切なものって、なんだ?

もう1度、自分自身と重ね合わせて、生き方を見つめ直す物語。







原作、映画と合わせて、感想をつらつらしようと思います。

以下、大変なネタバレであり、これから読もうとしている方、見に行こうとしてる方にはおすすめしません!

既に原作を読み映画も見ている方に「あ~~!  わかる~~~!」と共感してもらいたいがための記事となります。
よろしく。












好きなポイント1「トムさん」

主人公「僕」と「彼女」がまだ付き合っていた頃、アルゼンチン旅行中に出会う、バックパッカーのトムさん。

原作でも映画でも印象に残る台詞があるんです。

「時間を分や秒に区切っているのは人間だけだ」

時間に縛られず、自由に旅をしながら生きている彼が言うからこそ、ズシッとくる言葉だなあ、と思います。

「時間」という概念そのものがなくなったら生きやすいだろうなあ。そう思いませんか?

焦ったり、急かしたり急かされたり、他人から影響を受ける要因には少なからず、「時間」は大きい範囲を占めていると、この言葉を聞いて実感しました。

昔々から日時計や砂時計があったくらいだし、人類にとって必要だからこそ生み出された概念ですが、時間に追われることがなくなったら心にはさらに余裕がうまれ、鬱をはじめとした精神病も大なり小なり、その成を潜めると思うんですよね……。









好きなポイント2「世界から映画がなくなったら?」

嫌だなあ。
映画もそうだけど、この世から本がなくなったらそれも、嫌だなあ。発狂ものですよね。書店や図書館が忽然と姿を消したら生きる意義の9割は消滅する。舌を噛みきると思う。

主人公「僕」の、大学時代からの唯一の親友である「ツタヤ」(本名はタツヤ)。

無類の映画通で、暇があれば映画を見、大学でも映画雑誌を片時も離さない筋金入り。
同じく映画好きの「僕」と意気投合し、ふたりの関係は映画で作り上げられていきます。

この大事な役を濱田岳さんが演じているんですが、作中でこう言う台詞があります。

「映画は無限にある。だから、俺たちの関係もずっと続く」

毎日、「僕」が見るべき映画のDVDを持ってきてくれる彼。
「なんだかツタヤみたいだな」
「(本名は)タツヤだけどな」
このお決まりのやり取りは、お互いに大学を卒業し、「僕」は郵便配達員として、ツタヤはレンタルショップ店長として働くようになってからも続く。

男性同士のコミュニケーションって、純粋に「趣味だけ」で成立するパターンが多いイメージあります。

野球とかサッカーとか、ギャンブルとかお酒とか。
仕事の愚痴とかもたまにはあるんだろうけど、女性のそれより格段に少ないと思うんですよね。
ゴルフとかもそうですけど、一つのワードから派生していって延々とその話だけで場をまわせる。あれはすごいなあ。


「僕」とツタヤの間にも、ある種の空気感というか、マイノリティを突き詰めた者同士通じ合えるものを長年共有している。

人見知りなツタヤにとって救われるやり取りだった。ずーっと続くと思っていたこの関係が、不可抗力でなくなってしまうのを、どうにも出来ないと知った時の悲しみと、閉ざされた絶望。

取り乱した自分を第三者に見られることにも気を配れない程の混乱。

濱田岳にしか演じられないなあ、と素直に思いました。

最後の最後で、
「こんな時、何を言えばいい?」
涙を流しながらただ問うツタヤに、海の上のピアニストの、あの有名な台詞でいつも通りに返す「僕」。

わたしはあのシーンが一番好きです。
人によってグッとくるシーンがそれぞれ違うのもこの映画の特徴だと思いますが、わたしにとってはあれが一番。








好きなポイント最後「イグアスの滝

アルゼンチン旅行中に不慮の事故で亡くなってしまったトムさん。

彼の口癖だった「生きてやる!」
荘厳な滝の前で全力で叫びつづける宮崎あおいちゃんのシーン。圧巻。

この時のあおいちゃんも、
「こんな時、何を言えばいい?」と訊いた濱田岳も、
母親の車椅子を押しながら泣いた佐藤健も、
海辺で妻と息子の写真を撮ろうとして涙で震えて手元が定まらなかった奥田瑛二も、
みんな演技で泣いているようには見えなかったんだよなあ。

台詞を言って、役に成り切っての感情から涙が出た、っていうよりも
それぞれの役者自身の生の感情が思わず溢れでた、という感じがした。

それくらい自然というか、頑張って泣いてます感がなかったから、受け手としてもごく素直に移入できたんだと思います。






生き方とか、命に対する考え方に、正解はないんですよね。
正しいとか間違いとか、価値観の上で語るものじゃない。
言葉は知ってるし頭ではわかるけど、というやつ。
自殺の是非をとか尊厳死問題とかいろいろね、ありますけど、法や倫理で縛る前に、ひとりひとりの頭で考える絶対量が足りてないと思ってしまいます。

そんなことを考えさせてくれる、よい作品です。

語彙力こそが教養である

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齋藤孝さんの
「語彙力こそが教養である」。

大変勉強不足で申し訳ないのですが、齋藤孝さんはそれはもうたくさん本を出されてるんですね。

この本に感銘を受け(なんて使い古された言い回しでしょう)、図書館に行ってみたらべらぼうな冊数が所蔵されてました。

読書が好き過ぎてライスワークを通り越して最早病気の粋なわたしですが、読書や言葉についての書籍自体には近づいたことなかったんです。

どうやら齋藤孝さんはそちらの方面では権威のあるお方らしい!
一気にファンになりました。
これから読み漁ります。



この「語彙力こそが教養である」に書かれているのは、
日々の読書や映画鑑賞、音楽鑑賞だけではなく、テレビ視聴やインターネットをも通して語彙力を鍛えられる、いわゆる
「語彙トレ」!
が出来るんですよ、というお話です。


普段読書をしていて、わからない単語や専門用語があっても、文脈から適当に推測してそのままにしちゃうこた、ありますよね~。あるある。とてもある。しょっちょうある。

そこを、少し手を止めて、改めて調べてみたら、もしかしたら思ってた意味と違うかもよ?!
この機会に正式な用法を覚えてストックしていこうよ!  ということです。

それが出来れば苦労はないんだぜ、と冒頭は思ってしまうんだけど、読み進めてみると不思議です。どんどんやる気出てきます。

ああ!  早く論語読みたい!
と、なってきます。ほんと不思議です。


語彙力=教養になるのは、言われてみれば確かにその通りですよね。知ってる日本語が多く、意味を知ってる言葉、正しく使える慣用句なんかが多いと、会話も豊かになるでしょう。

斜に見ちゃうと、
「普段頭の良い人と話す機会なんてないから無駄だし、知識ひけらかすような話し方してたら即ハブだわ~~」
とも思ってしまうんですが
齋藤さんが伝えたいのはそういうことではない。

日々の読書や映画鑑賞などを通じて、意識的に使える語彙を溜めておくことで、同じ会話レベルで交流できる「層」が違ってくる。

それがいかに人生を豊かにするか、
人間関係を実り多いものにするかを知りなさい、ということ。


この考え方、いけすかない!  って思う人も多いかもしれませんが、やってみる価値は大いにあると思うんですよね。特に社会人は。そして更に絞るなら若い人。
偉い人との会話はバカがバレやしないかって終始ヒヤヒヤして疲れるけど、語彙トレやってたらそんなしんどいことにならないのでは?


わたしは試してみます。
語彙トレ。

暗いところで待ち合わせ

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サブカル道を行く上で避けては通れない乙一
大好きです。
ほとんど読んでます。
この作品ももちろん学生の頃に読了済なのですが、つい最近、ダヴィンチのバックナンバー眺めてたら乙一の特集があって、久々に読みたくなって手に取りました。


久々に読んでもやっぱり良かった!
あの頃の、甘酸っぱいとも違う、なんとも言えないふわふわ感、心臓がくうううっと動く感覚……。

ざっとしたあらすじは、ある殺人容疑をかけられた大石アキヒロが、視覚障害をもつミチルという女性宅に潜み隠れるという話。

アキヒロには、どうしてもその場所で見張っていなくてはならない「ある理由」があり、罪悪感を持ちつつ、ミチルとの不思議な共同生活が始まります。


このアキヒロさん、悪い人ではないんですよね。容疑者ですけど、障害をもつミチルのことを気に掛けちゃう部分がある。

棚の高いところから物を取ろうとして、バランス崩して倒れかかるミチルを支えてあげたり。
手が滑って割ってしまったコップの破片を、こっそり捨てておいてあげたり。


ストーブの火を強めたまま寝ちゃったミチルのために、そっと火力を弱めてあげたり!

この場面、作品の中で一番好きな場面なんですけど、何故か映画版ではカットされてるって聞いて未だに見るに至ってないくらい好き過ぎる場面です。ほんとすき。


学生の頃に乙一の作品に出会い、大袈裟ではなく読書の楽しみに目覚めました。
そんなサブカル仲間は、それはそれはたくさんいるはずです。

最近は作品の趣向が以前とは少し違いますけど、変わらずだいすき!

アダム・ブラウン「えんぴつの約束」

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超一流コンサルタントのアダムが、貧困地域でまともに教育を受けられずにいる子どもたちのため、一念発起職を辞し、「ペンシルズオブプロミス」という団体を立ち上げ、世界に学校を建てる活動をはじめるノンフィクション。


誰もが「無理だ!」「できっこない」と一蹴する夢でも、それを捨てるな。
自分自身と、夢と、助けてくれる貴重な仲間をひたすらに信じて、前へ進み続けよう!  という強いメッセージが、最初から最後までギュッと1冊に詰まってます。


訳書なので、慣れてないと少々読みにくいです。日本とは文化が違うので、端々にスッと飲み込みにくい単語が混ざってたり。


それでも、高収入で地位も約束された大手企業の職を捨ててまで、ゼロから慈善団体を設立して寄付を募り、子どもたちのために学校を建て、その未来を見越して維持と継続を約束する……。

そんなアダムの意思の強さ、子どもたちを思う心、仲間をひときわ大切に思う気持ちに感じ入る部分が多いです。


貧しいというだけで教育の機会を得られない子どもたちの不遇にいてもたってもいられず、それまでの安定した立場を捨ててまで具体的な行動に踏み出せる勇気……。

凄いとしか言えないですねえ、語彙が弱いですが……。



アダムが「ペンシルズオブプロミス」を立ち上げようと決意するに至った経緯の中に、
セメスターアット・シー(船で特定の各国をまわる旅)に参加し、その航海途中に嵐に遭って死を覚悟する場面があります。

死んでしまってもおかしくない状況から既のところで助かった自分の命。

これからの将来、何が出来るのか、人の為に何をしていけるのかを、深く考えるきっかけにつながりました。

そこで出会った貧困地域の子どもたち。
電気や水道は贅沢品。
屋根や壁なんかない、小屋とも呼べない、ただの木の下で集まって字を学ぼうとする子どもたち。
風が強かったり雨が降ったりすればお休みになるという「学校」。


アダムは、その現実を見て「これだ」と、瞬時に熱くなります。
かつて、自分たちに十分すぎる教育を、余るほどの食事を、と奮闘してくれた祖母を思いつつ、恩を返せるとしたらこれしかない、という思いも芽生えました。



こういう非営利団体の慈善活動につきまとってくるのは、好奇や疑いの目だと思います。
寄付したお金がきちんと活用されているのか、コンセプトは立派だけど、そもそも具体的にはどんな活動をしているのか。気になる面が多すぎる。

ひたすらに費用の透明化、いつでもどこでも活動の詳細を見通せるように工夫を徹底し続けたのが、この団体が周りから信用を得られた理由だと思います。
もちろんアダムの実直な人柄も含め。



夢は自由に持つべきだということ。
夢を叶えられない理由に、仕事や家族や時間のなさを挙げるべきではないというストレートなメッセージを届けてくれる1冊です!

ちなみに、こちらの書籍は
藤原和博さんの著書「本を読む人だけが手にするもの」において推奨されていたものです。
他にも、読んでおくべきとされる珠玉の1冊が紹介されています。おすすめです。